キャンベル・アーリー

 千迅が食後の水物に用意していたのは葡萄だった。黒紫の実は一分の隙もなく張りがある。房を包むのは簡易な包装なので贈答用ではない。店先で売られていたのなら中々の上物だが、千尋は僅かに眉を顰めて渋い顏をする。
「なんで葡萄なんだよ。」
「なんでって、好きだろう。」
「また揶揄う気かよ。」
「上等なのがあったから、おまえにも喰わしてやりたいと思っただけだよ。勿論、皮は剥いてやるからな尋くん。」
「やっぱり揶揄うつもりぢゃないか。」
 千尋は声を荒げるが、千迅は笑うばかりで気にしない。葡萄は、異母兄が異母弟を揶揄う際の恰好の種だった。
 まだふたりが小学生の頃、於じまに泊まった日の夕飯の水物が、葡萄だったことがある。小椋家は於じまの身内ということもあり、大盤振る舞いに一房まるごと出されたのだ。睛の前の黒紫の実を、爛々とした睛で見つめながらも一向に手を出さない千尋を、千迅は不思議に思いながら皮を剥いていた。一皮、二皮と、皮は何の抵抗もなくするすると剥けていく。そうして千迅が最後の一皮を剥き終えたまさにそのとき、千尋は待ちかねていたように、その小さな口を千迅に向かっていっぱいに開いたのだった。千迅は呆気に取られたが、千尋は与えてもらえることを露も疑わない顏で待っている。
 途惑いながら剥いたばかりの葡萄を千尋の口に運んでやると、彼はそれを満足そうに咀嚼した。満面の笑顔を浮かべられれば、千迅も悪い気はしない。千迅は自分が食べるのは後回しに、幼い彼が満足するまでいくつも葡萄を剥いてやったのだった。
「いくつのときの話をしているんだ。いい加減にしろよ。」
「あの可愛かった尋くんがこんな口を利くようになるなんてなあ。」
 千迅は葡萄を包みから出すと軽く水洗いをし、硝子皿に盛って食卓に出す。そのまま千尋の向かいに腰を下ろすと、房から一粒もぎ取り、あの頃と同じようにするすると肉厚の皮を剥いていく。千迅の手で黒紫の衣装を脱がされていく果実は、徐々に透明な裸身を晒していく。居たたまれなくなった千尋は、千迅の手元から睛を逸らす。
「ほら。ああん。」
 果汁の滴る手が千尋の口元までその実を運んで口を開けるよう促す。
「子ども扱いするなよ。」
 揶揄われていると解っているのに、千尋は抗えない。おずおずと唇を開いて、千迅の手ずからその実を口にする。
「旨いか。」
 その問いかけに躊躇いながらも千尋は頷く。甘酸っぱい味が咥内に広がり、柔らかい果肉は幾度と噛み砕かなくとも、芳醇な香りを鼻腔に残して喉奥へと滑り落ちていく。
「ほら。喰えよ。」
 雛鳥に餌を与えるように、千迅は次の葡萄を千尋の口元まで運んでくる。ひとつ、ふたつと啄むうちに、千尋はひどく淫らな気持ちになっている自分を誤魔化せなくなる。躰が熱っぽく、酩酊したように睛の前が眩む。
「なあ千尋。」
 名前を呼んだ後は口を閉ざして、千迅は人差し指を差し出して意味深に笑んでいる。千尋はその指に引き寄せられて口に含むと、葡萄の代わりに、吸った。果汁を纏った指は甘く濡れて堪らなかった。きつく、やわく、千尋が夢中になって舌を絡めていると、その指は悪戯に関節を曲げて咥内の上顎をなぞる。
「……ん……っ、」
 喉の奥から絞り出された声が吐息に変わり、細く長く官能の色をして鼻から洩れていく。千迅はその息に合せてゆっくりと指を差し抜いた。千尋の舌先が名残惜しそうに後を追う。
「ベッドに行くか。」
 千尋が出来上がっているのを見越して千迅は云う。千尋は伏し目になって、小さく頷いた。