美しい首筋

※付き合う前の行司さんと寧さんです。
※寧さんはモリヘイの孫なので、付き合う前の行司さんは敬語かなと思っています。

 

 きれいだな。そう思った瞬間に、ああ、これは大分キていると、行司は思った。家には一週間帰れていない。事務所のシャワーを浴びて、よければソファー、悪ければ机の下にシートを敷いて横になる毎日で、この日はそれより悪い三徹目だった。いい加減ワイシャツの替えもなくなる頃合いで、そろそろ家に帰ってまともな睡眠を取りたいと思っていた矢先に覚えた衝動だった。いまの自分は相当イかれている。行司はそう思わざるおえなかった。
 どうしたんだ行司。
 行司と同じく一週間自宅に帰っておらず、同じくこの日が三徹目の真木寧が手元の資料から顏を上げる。糊が効いていたシャツは襟元からくたびれ、ぼさぼさに乱れた髪と睛の下の隈が疲労の大きさを物語っていた。
 なんでもありませんよ真木さん。
 なんでもないって顏じゃなかったぜ。
 これだけ事務所に詰めていれば顏も頭もおかしくなりますよ。そろそろ帰ろうかと思うんです。帰れる日がないのなら、もういつ帰っても同じじゃないですか。
 おまえもだいぶおかしくなってきたな。
 寧はペンを机の上に放り投げると椅子の背もたれに躰を預けて伸びをした。
 国政選挙の真っ最中だった。S県選出の現職の国会議員河盛平治の議員秘書であるふたりには、この選挙期間中に退勤の文字はない。
 真木さんも一度は帰った方がいいんじゃないですか。 
 そうだな。躰が疼いてもここじゃ処理のしようもないからな。
 行司はどきりとした。深夜の事務所には、行司と寧のふたりきりだった。ベテランから先に一時帰宅をし、若手のふたりが留守番に残っている恰好だった。
 黙るなよ。そこ、窮屈そうだぜ。
 寧に指摘されて行司はぎょっとする。確かに衝動は感じていたが、指摘されるまで反応しているとは思わなかった。疲労感で自分の躰の状態が把握できてない。行司は返答に窮した。
 勃つってことはまだ限界じゃないな。
 寧がおかしそうに笑う。
 真面目に支援者リストの整理をしているかと思ったら。いやらしいことでも考えていたのか。
 ……やめてください。ただの生理現象ですよ。
 何に興奮したんだよ。いいだろう。監禁生活も一週間だぜ。気晴らしに面白い話を聞かせろよ。
 寧の揶揄う口調には、平生ならそれなりの返しをする行司だったが、三徹目の頭では聞かれた以上のことを考える余裕はなかった。 
 ……真木さん。
 は。
 真木さんの首筋を見たら、なんかキてしまって……。
 回らない頭では言い繕うことも困難で、行司はありのままを口にする。あの時、隣の席で資料に睛を落とす寧の顕わになった首筋に、なぜだか行司は強烈に欲情したのだ。無論、これまで真木をそうした対象として見たことはない。だからこれは一週間家に帰らず仕舞いの三徹目の誤作動なのだ。
 へえ。
 寧は小さく呟いた。寧がどう思うかなど、今の行司の頭では処理しきれない。嫌悪されても仕方がないが、行司が妙な気さえ起さなければ、寧は仕事に支障をきすようなことはないという確信はあった。だがそんなやり取りの後に抜いてきますというのも間が抜ける。さてどうしようかと行司がぼんやりしていると、なぜか行司の前に跪いた寧がベルトを手を掛けていた。
 ……ちょっと、真木さん。
 抜いてやるよ。
 え。
 おれに欲情したんだろう。よくしてやるよ。
 冗談でしょう。自分でどうにかしますから。
 つれないこと云うなよ。おれはおまえのこといいなと思っていたんだ。
 ……え。
 おまえはその気がなさそうだったから、これでも行儀良くしていたつもりなんだけど。
 いや……、そんな……。
 行司が途惑っている間に、寧は手早くベルトを外すと下着の中から行司のものを取り出す。
 いや……本当に……真木さん……。
 はは。しっかり勃っているじゃないか。やらしいな。
 寧は行司のそれを握り込むと、上下にゆっくりスライドさせる。適度な圧が最初からもうどうしようもないほど気持ちがいい。すぐに先走りが自身を濡らして粘着質な音を立てる。
 ッあ……。
 我慢するなよ。抜いてないんだろう。
 寧は容赦なく行司を追い立てる。刀身を扱く合間に、先端も指で強く撫でて刺激する。むず痒いような快感に透明な分泌液はとめどなくあふれ出た。そこを触られていると腰から逃げたくなるが、触られないと物足りなくなって無意識に期待して求めてしまう。強く、弱く緩急をつけながら行司の欲望をコントロールする寧は、睛が合うと艶やかに笑む。
 緩く、けれど確実に行司を高みに連れて行く寧のその魅惑的な唇が大きく開いたとき、さすがの行司もその先を察して彼の頭を押し留めて拒絶する。
 何考えているんですか。そんなことしなくていいんですよ。
 ここまでさせといて今更だろう。おれは上手いから安心しろよ。
 ……っ、ろくに風呂にも入ってないんです。やめてください。
 シャワーはさっき浴びただろう。喰わせろよ。こっちもキてるんだ。
 寧の性急で乱暴なことばに、行司は努めて見ないようにしていた彼の顏をそっと窺ったが、見てすぐに後悔をした。いつもは上品に取り澄ました顏が上気して、欲望に濡れた睛で行司を強く睨みつけている。行司の欲がはっきりと疼いた。躰中に散らばっていた情欲が向かう先を見つけて中心に集まるのが解る。行司の脳裏はひとつの色に染まっていく。
 ふ……っ。
 行司が怯んだ隙に、寧は聳立する行司のそれを口に含む。生暖かい感触に躰が震えた。寧は裏も表も丹念に舐って唾液を塗していく。肉厚で温かい舌が好きなように動いて行司を翻弄した。久方ぶりのその感覚は、それだけでもう達してしまいそうな強烈な快楽だった。
 淫靡な水音に、行司の押し殺した声が重なって熱が上がっていく。
 抗えない快楽の一方で、昏い炎が行司を嬲る。されるだけでは物足りなかった。嗜虐心のままに振る舞って、滅茶苦茶にしてやったらどうなるだろう。もっと奥まで咥えさせて、白濁を撒き散らして躰の中から汚してやったら、この男でも泣いたりするのだろうか。泣く顔を見てみたい。箍の外れた脳裏では、そんな凶暴な気持ちが膨らんでいく。
 真木さ……もう、無理だから……離し……て……。
 寧はそれを合図に猛然と行司を攻め立てる。出したいという、シンプルな欲望が行司の思考を塗りつぶす。喉奥の行き止まりまで入れてしまって、嘔吐くまで突いて全部出してしまいたい。そんな昏い欲望から逃れるために、行司は寧にされるがまま達することを選ぶ。
 ん……っ……あっ……。
 僅かに唸るようにして絶頂を迎えた行司は、息を切らすのも一瞬ですぐに寧を省みる。
 真木さんすみません……。あの早く出して……、
 行司が寧の口の中を慮って出せるものを探すうちに、寧の喉が嚥下のためこくりと動く。
 真木さん……、
 ……云っただろう。おれもキてるんだ。
 平静さを欠いた睛が、熱を孕んで行司を見つめていた。謝罪先で生卵を投げつけられても、修羅場の業務進行になっても、緩く笑って己を失わない男が、進んで性欲に踊らされて、物欲しげな顔で行司を見つめている。
 ……ひとのものを、勝手に舐めて、勝手に呑み込んで、それでこんなになっているんですか。
 寧は右足の革靴を脱ぐと、爪先でそっと寧の中心を突く。いつの間にか寧のそこもスラックスを押し上げていた。
 ……ああ。もう堪らない。どうにかなりそうだ……。
 寧は欲望に衒いがない。それはさながら毒を含んで咲く艶やかな花のようで、行司は一瞬固く睛を瞑ると、机の上に広げた資料や文具を乱暴に払い除ける。床にはペンや定規とともに数十枚に及ぶ資料が音を立てて散らばった。行司は寧の腕を掴んで立たせると、空き地になったその机上に彼をうつ伏せにして押さえつける。その刹那に寧との間で火花が散った。
 後戻りはできない。だが後戻りができないと何が困るのかは、靄がかった頭ではもう解らない。行司は大きく口を開けると、睛に焼き付いて離れないその美しい首筋に、歯を立てた。