※モブ×千迅さんです。千迅さんが生活のために売りをしている設定です。苦手な方ご注意ください。
モブのおじさまは段々千迅さんに本気になっちゃうので千迅さんが痛かったり悲しかったりすることはありません。
深夜。先ほどまで呑んでいたバーの裏口で、成宮は連れの男と口論をする羽目に陥っていた。
「ぼくはもうこんな関係は厭なんだ。」
「こんな関係も何も、承知したから応じていたんぢゃないのか、」
「そんなのはきっかけぢゃないか。ぼくはずっと成宮さんのことが好きで、恋人にしてくれるのを待っていたんだ。」
「おい冗談はよしてくれ。何の為に金を渡していたと思っているんだ。最初に云ったように、俺は恋人を作るつもりはさらさらないぜ。」
成宮がそう云うと、頬に焼けるような痛みが走り、路地裏には打音が響く。
「最低、」
睛に泪を溜めた男はきつく成宮を睨むと、白い息を吐きながら雑踏の方へ駆けていく。絵に描いたような修羅場に成宮は自嘲するが、向こうの本音が明らかになった以上、これで上手く切れてくれるなら頬を打たれるぐらいは安いものだった。
「痛っ、」
とは云え、衝撃で唇を噛んでしまったのか、唇の端に指で触れると血がついたのは誤算だった。
「色男が台無しだな、」
成宮が顔を上げると、見知らぬ男が立っていた。たった今成宮の頬を打った男と同じ二十歳前後に見える若い男だった。
「……男同士の修羅場が珍しいか、」
「まさか。ここらでは男でも女でも、そこら中で好きだ惚れただの愁嘆場を繰り広げているぜ。」
男はハンカチを取り出すと成宮に差し出した。
「金で男を買っていたのか。」
「……端的に云えばそういうことだ。俺は恋人が欲しいわけぢゃないからな。可愛いヤツだったんだが、もう少し賢ければ尚よかった。」
「あんた、刺されずに済んでよかったな。」
男は呆れた声で云う。成宮が受け取ったハンカチで口の端を拭っていると、男が一歩踏み出して成宮の顔を覗き込む。
「次は俺でどうだ、」
「はっ、」
成宮が驚いて俯いていた顔を上げると、夜に似た漆黒の睛が間近に迫っていた。
「金がいるんだ。短時間でそれなりに稼げると助かる。」
思いも寄らない提案に、成宮はまじまじと男の顔を見つめた。男の顔は至って平静で、冗談とも本気ともつかない。
「……揶揄っているのか、」
成宮の疑わしい睛に怯むことなく男は続ける。
「伊達や酔狂でこんな提案をするほど莫迦ぢゃないつもりだぜ。云っただろう。金がいるんだ。ただし俺はさっきのヤツと違ってあんたの呼び出しにいつでもは応じることはできない。それとこっちに金があるときも断る。」
「……何だよそれは。それぢゃ俺はおまえにとってただの都合のいい財布ぢゃないか。」
「男がいいんだろう。これから次を探すのも骨が折れるんぢゃないのか、成宮サン。」
男が成宮の名前を知っていると云うことは、痴話喧嘩をほとんど最初から目撃していたということになる。成宮は頭を掻いた。
男の指摘は成宮の痛いところを突いていた。成宮は相手が女でも構わない質だが、女と関係をもつと男以上にその後の関係を求められることが多く、最近では滅多に手を出していなかった。
「こちらの都合を認めるなら、俺は面倒なことは云わない。後腐れが無いのは希むところだ。あんたが俺に飽きたら連絡をしなければいい。」
淡々とした口調がいやに挑発的に聞こえる。だが、おかしいことに成宮はその口調をまったく不快に思っていなかった。
「気が向けば連絡してこい。悪いようにはしないぜ。」
男は鞄からノートを取り出すと、何かをメモして千切る。男はその紙を成宮の胸に押しつけるとにやりと笑って雑踏の中に消えて行った。
「本気か……、」
ひとり取り残された成宮は暫し呆然とした後、押しつけられたメモを見る。そこには流麗な筆記体で書かれたChihayaという名と電話番号が記されていた。
◇
成宮は、主に欧米から商材を仕入れて日本の小売店に卸す商社を経営している。取り扱うのは家具、食品、化粧品、服飾、雑貨と多岐に渡る。最近では卸の仕事だけではなく、自社の販売店舗を青山にオープンさせて売り上げを伸ばしていた。
成宮は三十代半ばまで大手の総合商社でバイヤーとしての勤務を経験し、四十路に入る前に独立して今の会社を興していた。従業員は五名の小さな会社だが、その分小回りの利く環境で、取締役である成宮が自ら海外に買い付けに出ることも珍しくない。取引先との商談は時差のため深夜に始まることも日常茶飯事だった。
自らの会社の過渡期と、不規則な生活。このふたつが重なったとき、成宮は性的欲求については金銭で解決することを選んだ。金銭を介在させることで、面倒なしがらみを回避して欲望を発散させることを希んでいた。
成宮は会社のデスクでノートの切れ端をぼんやりと眺めていた。「チハヤ」に逢ってから一週間が過ぎていた。成宮は、誘いに応じるべきか答えを決められていなかった。いや、一笑に付して切れ端を処分できていない時点で成宮の気持ちは決まっていた。
――興味があった。
これまでに抱いたことのないタイプだった。理知的で冷静な物腰。初対面の成宮に臆さず交渉を持ちかける度胸。成宮は相手を抱きたい質だ。どちらかと云えば相手を組み敷いていそうなあの男を屈服させることに、そられないと云えばそれは嘘だった。
成宮は溜息を漏らして気持ちを固める。受話器を取って、この一週間、押すことを躊躇い続けた番号を押す。
コール音が鳴る。これでチハヤが出なければ、この番号は処分することに決める。四度目のコールの途中で電話が繋がる。
「……チハヤか、」
「どれだけ悩んでいるんだよ。決断力に欠けるんぢゃないのか、」
その第一声には媚びも諂いもなかった。成宮は久々にぞくぞくとした興奮が腹の底から競り上がってくるのを感じた。手加減は不要の予感にぐっとアクセルを踏み込む。
「俺は知らない男には付いていかないという幼少期の教えに忠実なんだ。」
「それで。身許調査でも完了したのか。」
「そんな野暮な真似するかよ。興奮が半減する。」
成宮はスリルを求めていた。保身ができるならわざわざ自分で会社など起こしたりしない。危ない橋こそ渡りたかった。厳しい商談と同じで、限界の先にある熱情と興奮は、経営者として避けるべき脇の甘さよりも、成宮にとっては優先される事項だった。
「今晩はいけるのか、」
「初回サービスだ。都合を付ける。」
「では今から云うホテルに二十時に来い。」
成宮は予め予約を入れておいたシティホテルの名前と部屋番号を告げる。
「いいぜ。良い子で待っていろよ。」
チハヤの方が先に電話を切る。成宮は不通の音が響く受話器を握ったまま、こぼれる笑みを噛み殺すことはできなかった。おそらく一回り以上年下の男に、好きなように口を利かれても不快ではなく、むしろ鼻歌でも口ずさみたいぐらい愉快な気持ちだった。勝ち気で尊大ささえ感じられる男を力で組み伏せて啼かせるのは堪らないアトラクションだった。成宮は久々に夜が待ち遠しかった。
仕事を早めに切り上げた成宮は、チハヤに指定したホテルに三十分早くチェックインしていた。普段に比べれば格段に早い成宮の退勤に、残業をする社員達が一瞬ざわめくが気にせず先に出る。
そわそわと落ち着かない気持ちでチハヤを待っていると、部屋のインターフォンが鳴る。成宮がドアスコープで来客の姿を確かめると、そこには夜のように黒い睛をしたあの男が立っていた。成宮はドアの鍵を開ける。
「時間通りだな。」
「商談の基本だろう。」
直に聞く生意気な口調は、電話で聞くそれよりも一層よかった。
「始めるにあたってルールの確認をしようか。」
成宮はチハヤをベッドに座らせると、鏡面の前に置かれた椅子を出して向かい合う。
「時間は二時間。互いの詮索はしない。一回の料金はこれでどうだ、」
成宮は指を三本立たせてみせる。チハヤは僅かに頷いた。
「あんたがどの程度で満足できるのか知らないが、その二時間に限度はあるんだろうな。」
「度が過ぎると思えば交渉してくれて構わない。一応申告しておくが、俺は性欲は人並みだし特殊な趣味も持ち合わせてはいないつもりだ。あとは最初に云ったように、俺は特定の相手を作るつもりはないし、関係を持つうちに俺を変えられると思うのも遠慮願いたい。」
成宮は煙草に火を付ける。肺に烟が満ちると気持ちが落ち着いた。らしくない緊張に成宮はひっそりと苦笑した。
「時間と金額については了承した。俺もあんたと面倒な関係になるのはご免だ。交渉成立だな。」
そう云ったチハヤは、ベッドから腰を浮かせると成宮が吸う煙草を取り上げる。どうするつもりか成宮が眺めていると、チハヤは奪った煙草を唇に運んで一服喫った。成宮の煙草はタールの重い銘柄だが、チハヤは噎せることなく烟を肺に納めると、そのまま鏡面の前に置かれた灰皿に押しつける。流れるような所作に成宮は睛を奪われた。
「風呂には入って来たぜ。あんたはどうする、」
「手際がいいな。男とは馴れているのか、」
「抱かれる方は初めてだ。」
「……へえ。抱く方は経験があるのか、」
「野暮なことを聞くなよ。あんたは男を抱きたい。俺は金が欲しい。それだけだろう。」
挑発的な睛が成宮の支配欲をそそった。
「それとも経験がないのは面倒なタイプか、」
「まさか。俺は案外と気が長いんだ。俺のやりように染まっていくのを見るのは堪らない。まして金のために宗旨替えをしようなんて男がどうなるかは見物だな。途中で厭だと云ってもやめないぜ、」
「希むところだ。よくしてみろよ。」
そう云って先に仕掛けてきたのはチハヤだった。唇を被せると、成宮の下唇を食んで隙間をつくる。強引さを感じさせないごく自然な成り行きで舌を侵入させてくる手管に、成宮はうっかりと感心しかけるが,これ以上好きにさせるわけにはいかない。
「まずはキスのされ方を覚えるんだな。」
成宮はベッドにチハヤを押し倒すと、生意気な口を躾ることから始めた。
◇
チハヤと初めて関係を持ってから五日、取引の契約書を見ながらも、成宮はチハヤのことを考えていた。
『随分と柔らかいぢゃないか。本当に初めてか、』
『対価を貰うなら相応にするさ。それにあんたにそこまで世話は掛けない。』
『不思議なもんだな。そう云われると一から開いてやりたくなる、』
成宮は挿れていた指を二本に増やすとチハヤが反応する箇所を探った。異物が押し入り、内蔵を指でまさぐられる感覚に、チハヤは眉を寄せて始終耐える顔をしていたが、音を上げないその顔に成宮の加虐心が疼き、同時に抱かれることには馴れていない躰に快楽を教え込んでいく背徳感は想像以上に成宮を昂ぶらせた。あの涼しい顔が恥辱に塗れて成宮を欲しがる様を早く見たい。チハヤの中に押し入りながら、成宮の腹の底は荒々しく猛っていた。
成宮は手元の書類に睛を落としながら、五日前の夜を反芻する自分を持て余す。性欲は人並みだと云った手前、再びチハヤを呼び出すまで五日を開けたが、これ以上辛抱することはできそうになかった。
昼間に一回、夕方に一回。チハヤに電話を掛けるが繋がらない。焦らされているようでますます欲しくなる。仕事を終えた成宮が、諦められず自宅からもう一度電話を掛けると、「はい、」というあのぶっきら棒な声がする。その声を聞いた瞬間成宮は胸には喜びが広がるが、同時に繋がるまで掛け続けた自身の必死さにも気がついて、思わず自嘲した。
「おい。おまえはいつなら電話が繋がるんだ。」
成宮はばつの悪さを誤魔化すように、開口一番に不満を云った。
「なんだ。何回も掛けてくれたのか、」
電話の向こうでは揶揄うような声がする。まるで成宮の執着を見透かしているような口ぶりだった。
「次はいつならいいんだ、」
成宮は舌打ちをしながら乱暴に問いかける。チハヤが相手だと、まるで学生の頃に戻ったように気の利かない誘い文句しか出てこない。成宮は苛立ちを落ち着けようと受話器を肩に挟んでライターを擦る。いつもなら一度でつく火が中々つかず、さらに成宮を苛立たせた。
「焦るなよ。あんたと同じでこっちにも生活があるんだ。……明後日の夜なら空いているぜ。」
金曜日の夜を指定される。チハヤとの逢瀬を待ち切れない気持ちでいた成宮は、微妙に間遠い日を指定されて肩透かしを喰らうが、ここで喰い下がればあの口調で何を云われるか知れたものではない。
「この間と同じホテルで同じ時間に部屋を取る。部屋番号はフロントで訊ねろ。」
「了解した。」
チハヤは短く答えると、余韻もなくあっという間に電話を切ってしまった。不通を知らせる通話音が無機質に鳴る。成宮は手荒く受話器を戻すと、改めて煙草に火をつける。ソファに躰を預けて烟を吐き出すと喉を震わせて笑った。金曜日が待ち遠しかった。
◇
金曜日は、夕方から雪になり損なった雨が降り始めた。寒波の到来で雨は一層の底冷えを感じさせた。この日も早めにチェックインした成宮は冷えた躰を風呂で温めてチハヤが来るのを待っていた。約束の時間ちょうどになると、部屋のインターフォンが鳴る。ドアスコープを覗くとチハヤが立っていた。
「冷えただろう。」
成宮はドアを開けてチハヤを中に促す。横を掠めたチハヤからは冷気が漂った。
「外はよく降っているぜ。」
チハヤは断りも入れずドア横にあるクローゼットにコートを掛けるとベッドに腰を下ろす。黒のハイネックがわけもなく成宮の情欲をそそった。
「直ぐにでもできるぜ。」
「もうちょっと情緒があってもいいんぢゃないか、」
呆れた顔をしてみせながらも、すぐにでも押し倒したい衝動に駆られていた成宮はベッドに片膝を置いて千迅の肩に手を掛ける。ふたり分の重みにベッドが軋んだ。
成宮はチハヤを下に敷くと冷えた頬に掌で触れる。何度か触れた後に人差し指で下唇をなぞると、薄い唇が開いてその指を含んだ。チハヤは成宮の爪先を舌で柔らかく撫でる。温かく濡れた肉感の上を転がされて成宮の下半身は疼く。
チハヤは爪先とその裏の指の腹を丁寧に舐めると、指の付け根まで咥え込んで舌を絡めた。態度や言動とは裏腹な丁寧な愛撫だった。指の全体が充分に濡れた頃合いで成宮が指を押したり引いたりすると、チハヤはその動きに合わせて抽出される指を唇で挟んで吸った。指の動きに合わせて鳴る淫らな水音に成宮の興奮は高まる。
「強請られているみたいで興奮するな。」
チハヤの耳元で囁く。
「好きなようにしてみろよ、」
成宮を首筋ごと引き寄せたチハヤは扇情的に囁き返す。
「いつまで生意気な口がきけるか楽しみだな、」
成宮はチハヤの咥内から指を引き抜くと、そのままチハヤの両腕を纏めてシーツの上に縫い止めてその足の間に膝を入れて擦り上げた。
「ふっ……、」
急に与えられた強い刺激にチハヤは声をこぼす。背けた顔が淡く染まっていく。成宮は一層チハヤを乱したくなって、空いている片方の手でハイネックの上から胸をまさぐった。平らな胸の一点が立ち上がっているのがすぐ解る。
「感じているのか、」
服の上から丹念にそこに触れるとチハヤが息を詰める。
「随分と感度がいいんだな。」
「知るかよ……、」
揶揄えば顔を背けたまま答えるチハヤに堪らなくなった成宮は、裾から手を侵入させる。腹から腰を撫でて脇腹を通って胸に触れた。しっとりと吸い付くような肌が心地いい。服の下で胸の突起を摘まんだり捏ねたりするうちに、それが見たくなった成宮はチハヤの上半身の衣服をたくし上げる。
「可愛いなあ。なあチハヤ、」
裾を首まで押し上げれば白い肌に熟れた実がなっている。成宮がぺろりと舌先で舐めればチハヤは息を洩らしてシーツを握り込む。
「我慢するなよ……。悦いときは素直によがっていやらしい声を出してみろ。」
成宮は片方の突起を口に含んで舐め、片方は掌で触れて柔らかい刺激を与えてチハヤの躰の熱を上げていく。その間もチハヤの足の間に差し入れた膝を押しつけるのを忘れない。絶え間なく与えられる快感にチハヤは呻いて身を捩る。
「それとも、そろそろここが物足りないか、」
成宮は胸を触る手をチハヤの前に動かして撫で上げる。既にそこは緩くズボンを押し上げていた。
「こんなにしていやらしいな。」
「いやらしいのは、触られてもいないのに勃っている、あんたぢゃないのか、」
チハヤは息を荒らしながら、覆い被さる成宮の股に膝を入れる。そこも確かに存在を主張していた。
「気持ちよさそうにされたらそそるだろう。このまま喰いたいぐらいだ。」
成宮はチハヤのスラックスをくつろげると、まだ柔らかさを残すその性器に下着の上から触れる。掌全体で柔らかく握って上下に扱くうちに、そこは段々と固くなっていく。
「おい。汚れるだろう。」
下着越しに触れられて反応を見せているにも拘わらず、チハヤは簡単には流されない。その強固な自意識を乱してやりたくて、成宮は要望通り下着ごとスラックスを脱がすと直接そこに触れた。
「ん……はっ……、」
直接触れられるとチハヤは堪えきれず声を洩らした。先端からは先走りが滴る。成宮が指の腹でそこをぐりぐりと撫でると、ぐちゅぐちゅと音を立ててさらに分泌液があふれ出た。
「こんなこと、普段はしたくならないんだけどな、」
成宮はそうつぶやくと躰をベッドの下の方へずらしていく。
「おい莫迦。何する気……、んぁ、」
躰を下へずらした成宮は完全に兆しているチハヤの性器を口に含むと、舌全体を使って丹念に舐め上げる。下から順に可愛がって上へ上へとのぼっていき、無防備に晒された鈴口を舌先で嬲る。
「おい莫迦、やめろ、」
制止の声は無視して飴玉を舐めるように執拗に刺激する。チハヤは成宮の額を押して離そうとするが、成宮は構わず口淫を続ける。口で圧迫して音を立てながら扱いてやると面白いぐらいに膨らんでいった。
「おい……、はぁ、離れ……ろ、無理……だから、」
目元を腕で覆いながら必死で耐えるチハヤは成宮の欲情を掻き立てた。限界を伝えるチハヤは腰が弓なりに反って息が上がっている。成宮が口で扱く速度を上げて一層強く吸い上げると、チハヤは悲鳴のような甲高い声を短く上げて精を放った。成宮はそれを口で受ける。
絶頂を迎えて細かく震えるチハヤの躰から離れると、成宮はベッドサイドに置かれたティッシュにそれを吐き出して洗面所で口をすすいだ。
「あんた、金で買った男にこんなことまでするのか、」
チハヤは枕に顔を埋めたままだが、うんざりとしていることがありありと解る声で云った。成宮はチハヤに一矢報いたことを確信して笑みがこぼれる。
「するわけないだろう。でもおまえは別だな。おまえ、金で買われて気持ちよくさせられるのは屈辱だろう。」
「……さっさとやることやれよ、」
身を起したチハヤは不機嫌を隠さない顔で成宮に迫る。成宮はこれ以上チハヤの機嫌を損ねないように笑みを納めると、この日初めてのキスをした。
◇
溶けた雪が軒からしとしとと滴って射し込む光を反射している。季節は三寒四温を繰り返し、つい先日今年最後と思われる雪を降らせると陽は和らいで春めいた気候に移っていた。
成宮の会社は無事に決算を終え、会計の係を中心に安堵の息が洩れていた。成宮も数字合わせのために直前まで取り組んでいた領収書の整理から解放されて大きく伸びをした。
自営業のよいところは融通がきくところで、予定よりも早く決算処理を終えることができたため、成宮は社員に早仕舞いの許可を出す。連日遅くまで残業をしていた社員を労うことができると成宮の気分もよい。片付けの済んだ社員からお疲れ様でしたと声を掛けて退社していく。
「社長も早く帰ってくださいね。根詰めすぎはよくないですよ。」
会社で一番の古株社員がワーカーホリック気味の成宮に釘を刺す。
「伝票を片付けて電話を一本入れたら帰るさ。」
成宮は心配する社員に軽く答えて手を振る。散らかった机を片付けながら最後の社員が帰るのを見送ると、成宮は電話に手を伸ばした。久々にチハヤに逢おうとしていた。
チハヤとは月に二回程度の逢瀬を続けていた。成宮が頻度を上げようとしてもチハヤが多忙を理由に断るのが常だった。初めて関係を持ってから三ヶ月が経つと、チハヤの方でも態度に親しみと気安さが滲むようになったが、何度抱いてもチハヤの周到さは崩れず、相変わらず私生活は謎のままだった。
三月に入ってからは成宮の方が決算のための繁忙期に突入し、一度もチハヤと逢えていない。無論チハヤから連絡が入ることもなく月末に至っていた。成宮は、チハヤのいない日常に物足りなさを感じ始めている自分を認めないわけにはいかなかった。何度仕事を放り出して呼び出そうしたか解らない。その感情に心当たりがないわけではなかったが、成宮はまだ見ない振りをしていたいと思っていた。
成宮はすっかり暗記した番号を押すと、煙草を咥えながら相手が出るのを待つ。
「はい、」
珍しく二コールで繋がる。在宅していたのかもしれない。聞き馴染んだ男の声が成宮の耳を擽った。
「久々だな。淋しくなかったか、」
「なんだ。飽きたんぢゃなかったのか。ご無沙汰だな。」
「莫迦云え。世間は決算の真っ只中なんだよ。流石に疎かにするわけにはいかないだろう。」
「それはご苦労だったな。」
いつも通りの軽口に成宮はほっと安堵するが、その様子はいつもとはどこか異なるように感じられた。口調は変わらないが、電話の向こうに人の気配があった。
「……誰かいるのか。掛け直すぜ、」
「―大丈夫だ。いつもの場所だろう。いつが希望だ。」
大丈夫だと云いながら受話器からは「―おい少し待てよ。すぐ終わるから。」と千迅が誰かに云い聞かせる声がする。成宮の安堵の気持ちは一瞬で暗転する。平静を装う肌の下では厭な鼓動がした。明らかにチハヤの傍には誰かがいた。
「今度の土曜はどうなんだ。」
成宮の返事を待たずチハヤの方から提案がある。その日は成宮もオフを取っていたため支障はなかったが、成宮のああ、という返事が届くか届かないかのタイミングで電話は突然切れる。無機質な電子音に成宮は動揺していた。
あの声の調子だと傍にいたのは男だろか。成宮はチハヤに他に男がいる可能性について、うっかりと見落としていた。金で買われるぐらいなのだから、客だって成宮の他にもいるのかもしれない。これまでの男関係ではさして気にしなかったことが、急に成宮の胸の裡を黒く染めていった。
土曜日の夜まで成宮は勤勉に働いた。油断をすれば余計なことを考えて気を散らすことになるからだ。そういうときは余計なことが考えられないように手と足を動かすに限る。成宮は取引先へ足を運んだり、店舗の視察に出たりといつにも増して精力的に動いていた。
金曜日には取引先近くの定食屋で、同行する社員と昼休憩をとる。注文が届くまで煙草に火をつけるが、珍しく咳き込んで煙草を喫むのを諦める。
「社長、最近働きすぎで体調崩していませんか。社にいるときも咳き込んでいたぢゃないですか。決算も終わりましたし、休んだ方がいいですよ。」
学生時代は運動部でならした成宮は、躰の丈夫さには自信があるため、心身の不調には些か鈍感だった。確かにここ最近頭が重い自覚症状があり、これが不調かと合点がいく。
「そうだな。忠告ありがとう。」
だが、これまでは一晩よく寝れば大抵の不調は治った。今回も早めに帰社して寝れば治るだろうと思っていた。
土曜日の夜になった。成宮は部屋を取ってチハヤの訪れを待っていたが、どうにも調子がおかしかった。今朝は普段よりも余分に眠ったせいか躰が軽く調子が戻ったように感じていた。それならばと、前の晩に片付けるつもりだった仕事を在宅でこなした後、チハヤとの約束通りホテルに来ていた。早めに入った部屋でいつものようにチハヤを待つ間、成宮は段々と悪寒がするようになった。
「まずいな……これは、」
ベッドに転がりながら成宮は独りごちた。横になると段々と頭がぼんやりしてくる。今日はとても無理だと思うが、今更チハヤに連絡する術はない。約束の時間まであと二十分を切っていた。少なくともチハヤが来るまではホテルに留まり事情を伝えることにして不調に耐える。
横になってうつらうつらとしていると、遠くで呼び出し音が鳴っていることに気づく。成宮は重い躰を起してどうにかドアまでたどり着いた。
「待たせて悪いな……、」
「おいあんたどうしたんだよ。」
ドア先に顔を出した成宮の顔色は一目で解るほど青ざめていた。
「……どうも風邪を引いたらしい。ここに来るまでは調子がよかったんだがこのざまだ。時間を取って悪かったな。今日は俺が悪いから取っておいてくれ。」
商売をする成宮には、相手の時間を買うということの意味が骨に沁みていた。それが気に入っている人間なら尚更だった。成宮はチハヤと取り決めた一回分の料金を手渡すと、ひとつ咳をして伝染す前にドアを閉めようとするが、チハヤの足がドアの隙間に差し挟まれて妨げられる。
「……なんのつもりだ、」
「あんたこの後どうするつもりだ。」
「少し寝て帰るかな……。どちらにしろすぐに車の運転ができそうにない。」
「家に人はいるのか、」
「ひとりだ。なんださっきから……、」
悪寒に加えて頭痛までし始めた成宮は会話をするのも億劫になっていた。チハヤは強引に室内に入ると、成宮の上着や荷物を持って外へ促す。
「車の鍵を出せ。送ってやる。」
くらくらとする頭では碌な判断はできず、成宮は云われるがままジャケットのポケットに入れていたキーケースをチハヤに手渡した。
助手席に乗せられた成宮は微睡みながら運ばれていた。通常なら他人に自分の車を運転されることを厭うのだが、チハヤは危なげなく左ハンドルを操り実に滑らかに運転をした。時折睛を醒ました成宮がぼんやりと外を眺めると、車は伝えた通りの道を進んでいた。成宮は安心しきって再び睛を閉じた。
薬局とスーパーに寄ってようやく成宮のマンションに着く。車の鍵を付けたキーケースには自宅の鍵も一緒に付けていた。チハヤは成宮の代わりに解錠するとドアを開けた。
「悪いな……。もうその辺に置いておいてくれて構わない。」
成宮はひとまずリビングのソファに腰を下ろして息を吐いた。しかし後からついて来ていたチハヤは矢継ぎ早に指示を出す。
「そんなところでへばるな。ちゃんとベッドで寝ろ。着替えはあるのか。」
チハヤに追い立てられた成宮は隣の部屋のベッドルームに向かい、クローゼットから寝間着を出す。のろのろと着替えて横になると、体温計と氷嚢を持ったチハヤが入ってきた。
「うちにあったか……体温計と氷嚢なんか……、」
「どうせないだろうと思って薬局で買った。とりあえず測れ。」
チハヤに押しつけられて成宮は渋々熱を測る。その間に枕元に氷嚢がセットされ、コップの水と市販薬が用意される。
「七度九分か。まだ上がるかもしれないな。吐き気はあるか。」
「いや……いまのところは……。」
「ちょっと触るぜ。」
チハヤは徐に成宮の喉元に触って何かを確認する。
「扁桃腺が少し腫れているな。とりあえず薬を呑め。」
成宮は手渡された水と錠剤を呑み込む。
「やけに手慣れているな……。この間の男にもこうやって面倒をみてやっているのか……、」
「……そんなことを気にできるなら大したことはないな。」
チハヤは皮肉で躱すが、成宮は止めなかった。
「誰なんだよ……、おまえの男なのか、」
まるで聞き分けのない子どものように成宮は喰い下がる。互いの詮索はしないルールを敷いたのは成宮だったが、熱にうなされるうちにその口は緩み、理性とプライドを置き去りにしていた。
チハヤはコップを受け取ると溜息を吐く。
「弟だよ。」
「弟……、」
「春からこっちの大学に来るんだよ。甘たれで困る。」
「……一緒に住むのか、」
「あいつは別だ。別の下宿を借りている。」
言外におしゃべりはそこまでだと、チハヤは成宮に横になるように促す。
「飯は喰えそうか。」
「あまり欲しくはないな……。ああ、でも桃が喰いたいな……。」
成宮は幼い頃、風邪を引くと決まって母親が桃の缶詰を用意してくれていたことを思い出す。体調が悪くなるとあの味が恋しくなった。
「少し寝ていろ。」
不快な悪寒に耐えきれずいた成宮は、いつになくチハヤの優しい声を聞いた気がしたが、成宮の意識はそこで途切れた。眠りに落ちる間際、玄関の閉じる音を聞いた気がした。
辺りはまだ暗かった。睛を醒ました成宮の体調は、薬が効いたのか、咳はまだ出るが頭痛は随分とましになっていた。中身の溶けた氷嚢は、頭の下でぶよぶよと動いてと柔らかかった。
「起きたか、」
寝室のドアから光が一筋射し込む。チハヤがいた。
「おまえ……帰ったんぢゃないのか。」
成宮は驚いて睛を瞠った。
「外に出る音が聞こえていたならお生憎様だ。少し待っていろ。」
チハヤは一旦ドアを閉めるとすぐに皿を持って中に入ってくる。起き抜けの成宮に配慮したのか、明るい室内灯ではなくベッドサイドの間接照明を付ける。
「これ、購って来てくれたのか、」
「喰いたいって云っただろう。」
チハヤが運んできたのは、成宮が眠る前にぼんやりとした意識で食べたいとつぶやいた缶詰の桃だった。
「おまえ、とっくに二時間は過ぎているだろう。いいんだぜ。風邪ぐらいでどうにかなったりしない。」
成宮が動揺して俯くと、チハヤは皿を成宮に手渡して腰をおろす。
「病人は病人らしくつまらないことを気にせず養生しろ。」
チハヤは柔らかく笑う。
「ただし回復するまでこれは没収だな。」
チハヤはベッドサイドに置いていた成宮の煙草を手に取ると意地悪い笑みを浮かべた。
「医者みたいなことを云うんぢゃないよ……。」
桃を囓りながら成宮がうんざりとした口調で云うと、今度こそチハヤは声を上げて笑った。
◇
夜風もぬるくなり躰にとわりつく季節になった。成宮は仕事帰りにひとりでバーに寄っていた。
「今日はご機嫌がいいみたいですね。」
馴染みのマスターが微笑む。年代物のシングルモルトは、普段の成宮の注文に比べると奮発した一杯だった。
「仕事がうまくいったんですよ。今日はその祝杯で。」
成宮はいつにない上機嫌でグラスを傾けた。
思い出してみれば、この店の裏口で男との口論をしたのが半年程前だった。金銭で契約をした関係に私情を持ち込んだ相手に厭気がさした成宮は、頬をぶたれたことを引き換えに後も追わずに男との関係を終わらせたが、今その報いを受けたかのように男との関係に煩っていた。
「仕事はうまくいっているが、それ以外がなあ。」
「珍しく今日はおひとりですね。」
マスターはそんな成宮の胸中を察したように相づちをうつ。
冬の終わりに風邪を引いて以降、成宮がチハヤを呼び出す場所は成宮のマンションに変わっていた。寝込む成宮を看病するチハヤに「帰りは大丈夫か。」と尋ねると「こっちの方が近所だ。」と返ってきたのがきっかけだった。逢う場所を自宅にすることを提案すると、意外にもチハヤはすんなりと頷いた。成宮はもう自分の中に芽生えている感情を無視することが難しくなっていた。
「高校生にでも戻った気分だ。どうすればうんと云わせられるか見当もつかない。」
「いつも違うお相手を連れていた人が、形無しですね。」
成宮の男女関係の遍歴を知るマスターは面白がって笑う。
「こんなことなら最初に妙な条件なんてつけるんぢゃなかったぜ……。」
「相当参っていますね。そのお相手に。」
図星を突かれた成宮は苦笑することしかできない。
この日の客入りはそう多くはなかったが、他の客に呼ばれるとマスターは忙しなく動いていた。注文からサーブまでをひとりで行っている。成宮のグラスの残りが僅かになった頃にようやく客の注文が落ち着いたようで、成宮の前にマスターが戻る。
「随分と忙しそうだな。バイトはどうしたんだ。」
チハヤとの逢瀬に時間を割いていた成宮がこのバーを訪れるのは男と別れた夜以来だった。それまではもう一人男のバーテンダーがマスターと一緒にカウンターに入っていたはずだった。
「ああ。千迅くんのことですか。」
成宮の心臓が強く脈打った。
「チハヤ……、」
「ええ。よく働いてくれるいい子だったんですけどね、学校の方が忙しくなるということで先月辞めてしまったんですよ。」
「学校……、」
「確か大学の三回生ですよ。苦学生だったみたいで、うちの他にも色々アルバイトを掛け持ちしていたみたいで。」
「その千迅ってバイト、もしかしてやたらと態度が大きい生意気な男か、」
「なんだ。成宮さんも千迅くんのファンでしたか。頭のいい子でしたからね。相手によって態度を変えられるんですよ。でも線引きがきっちりしているから不愉快にはならなかったでしょう。」
ああいう子は夜の仕事にも向いているんですけどねと、マスターは屈託ない。成宮は降って沸いたチハヤの話に対する動揺を隠すのが精一杯だった。
「そう云えば千迅くんに成宮さんのことを聞かれたことがありましたね。」
「え……、」
「あなたが男女関係なく気に入った相手と親密だったから、あれはどういう関係なんだと。立ち入ったことなんて一切口にしない子だったからよく覚えていますよ。」
成宮の中でチハヤが千迅である確信が深まる。
「同じのを、もう一杯。」
成宮は空になったグラスをマスターの前に差し出した。
◇
成宮がチハヤを自宅に呼ぶようになって、ほんの少し段取りが変わった。逢うなりすぐに始めるのではなく、珈琲を一杯楽しむ。酒を嗜む。チハヤの口が奢っていることはすぐに明らかになり、チハヤに旨いと云わせることが成宮の密かな楽しみになっていた。
この日もインターフォンが鳴る。
「よく来たな。」
成宮はドアを開けてチハヤを迎え入れる。チハヤはポロシャツにジーンズというラフな格好をしている。慣れた様子で靴を脱ぐと成宮の後について部屋に入る。
チハヤをソファに座らせると、成宮は沸かしていた湯を止めて珈琲を淹れる。仕事で仕入れた豆にチハヤの口に合いそうなものがあった。
「ほら。まずは一杯飲めよ。」
金銭契約の関係でしかない成宮とのこの時間に当初は怪訝な顔をしていたチハヤだが「料金のうちだろう。」と成宮が押し切ってからは素直にカップを受け取るようになった。その紺色のマグカップもチハヤに似合うだろうと、成宮が海外の買い付けで選んできたものだった。
「ああ……、確かに旨いな。」
カップに口を付けたチハヤがそうつぶやけば、成宮は胸中で喝采する。
「ところでおまえ……、何か匂わないか、」
成宮は自らのカップをローテーブルに置いてチハヤの首筋に顔を寄せる。暑くなってきたからといって、それは汗の匂いとは異なった。日常生活では嗅いだことのない、何とも形容しがたい刺激臭が僅かにしていた。
「本当か。風呂には入って来たし服も捨てたんだが……。悪いな。風呂を借りるぞ。」
成宮は何の匂いか見当も付けられずにいたが、チハヤは心当たりがあるのかカップに残った珈琲を飲み干すと、すっかり勝手を知った風呂場へと向かう。気まぐれな猫のように、懐いたかと思えばするりと抜け出して気ままに振る舞う。この頃の成宮は、チハヤとの買い手と客の関係を越えたいと本気で思うようになっていた。
チハヤがシャワーを浴びている間に、成宮は寝室の準備が整っているか再度確認をする。躰の相性は悪くないはずだった。寝る回数を重ねるごとに、チハヤの躰は成宮のやり方に馴れて、初めての頃とは比べものにならないほど存分に乱れるようになっていた。チハヤのすべてを自分のものだけにしたかった。
「いやらしいことでも考えていたか。」
ベッドを整えていた成宮の背後に風呂上がりのチハヤが音もなく立つ。その毛先から滴る水が成宮の首筋に落ちた。
「おまえを呼んでいるのに考えないわけながいだろう。」
成宮は首だけで振り返って唇を被(の)せるとすぐに躰を反転させてチハヤの腰を抱き込んだ。チハヤは上だけを着て下は下着を履いているだけだった。
成宮はチハヤの腰を触る手を耳元まで動かして耳介を撫でる。指先で摘まむようにして擦れば口づけの合間に色を纏った声が洩れた。二度三度と唇を重ねるだけの触れあいをすると、成宮は舌先でその口を割った。チハヤは抵抗することなくその舌を受け入れる。
成宮はチハヤの舌先を掬い取ると絡みついて舐った。一度咥内に侵入すると止まれなかった。奥へ奥へと口づけを深めていくうちに唾液の絡む音が寝室に猥雑に響く。口づけを受けるチハヤの背はしなり、やがて背後からベッドに倒れ込んだ。
「もっとよくなろうな……、」
成宮はチハヤの額に唇を落とすとシャツの下に手を入れて胸に触れる。これまでに成宮が執拗に攻めてきたそこは僅かな刺激にも敏感に反応して期待を滲ませる。
「ここも随分いやらしくなったよな……、」
チハヤの耳元にそう吹き込むと、成宮は紅く立ち上がった胸の突起を咥えた。
「ん……、」
先端を舌で撫でれば感じ入るチハヤの声がする。成宮はチハヤの躰を塗り替えていく背徳に愉悦の笑みを浮かべた。空いた手ではチハヤの前に触れ、そこが既に勃ち上がっていることを確かめると下着をずらして直接触れる。チハヤの腰が跳ねる。
「おい……あんただって大概だろうが、」
それまで成宮に翻弄されていたチハヤは、半身を起して成宮の前に触れた。そこはもうズボンの下で随分と窮屈そうにしていた。チハヤの反撃に成宮はにやりと笑うと、自らズボンを脱いで下着をずらす。自分の性器とチハヤのそれを片手で握りこんで擦り合わせた。
「おい……やめ……、あぁッ……、」
「気持ちいいだろう……、」
互いの先走りを潤滑剤にして掌を滑らせる。どうしようもない卑猥さに目眩がした。擦ればこするほどに成宮のそこは一層固くなったが、それはチハヤも同じだった。手の中で膨らんでいく感覚が直接伝わってくる。ぞわぞわとした快感が成宮の背を走った。
「そろそろ限界ぢゃないのか、」
「あっ……莫迦云う……、んぁ……、」
感じているにも拘わらずなお強気な姿勢を崩さないチハヤに加虐心が疼いた成宮は、上下のスライドを速めてチハヤの限界を引き寄せる。どこがいいのか、どれぐらいだといいのか、成宮はチハヤが絶頂を迎えるための術を既に心得ていた。
「イけよ……気持ちいいんだろう、」
わざと音を立てて耳を舐める。チハヤは逃れようと躰を捩るが成宮はそれを抑えこむ。成宮は性器を握る手をもう一段階強めて絶頂に向けてさらチハヤをに追い込んだ。
「あ……も、イッ……、」
身動きを封じられたチハヤは与えられる快楽に抗うことができず遂に白濁を放つ。ぐったりと横たわり肩で息をしているがこれで終わるはずもない。
「随分よさそうだな。でも前だけぢゃ足りないだろう。」
成宮は白濁に濡れたままの指でチハヤの後孔に手を伸ばす。縁を緩くなぞるとそこがひくりと動いた。
「ここでするのも大分気持ちよくなったよな……、」
成宮はサイドボードから潤滑剤を取り出すと掌全体に纏わせ、濡れた指先を孔に入れる。つぷりと音がする。チハヤの後ろからも透明のジェルがあふれて音を立てた。
「本当おまえはさせてくれないよな……。」
成宮は変わらず周到に準備をしてくるチハヤにぼやく。最初から最後まですべて自分の手でしてやりたいという成宮の欲求は留まるところを知らなかった。
「だが、随分抱かれ方は上手くなったよな、」
挿れた指先をくの字に曲げて中を擦ると、明らかにチハヤの様子が変わる。およそ半年間、成宮がチハヤの躰を抱いてこつこつと教え込んだいいところだった。前立腺の膨らみを指先で潰すとその躰は快楽に震える。
「あっ……ひッ、あ……っ、」
チハヤはシーツが皺になるまで握り締めて抑えきれない声を落とす。抱かれたことのなかった男がここまで乱れるようになったのだ。成宮はそれだけで達しそうな快感を覚えたが、それにはまだ早い。
「もっとよくしてやるよ……、」
「莫迦……そんなこと、しなくても、もう挿入……、」
チハヤは抵抗するが成宮はそれを聞き入れない。徐々に中を掻き交ぜて解していく。時折指を抽出させると一層高い声が上がった。浅いところを擦られるのはチハヤのいいところだった。中が広がるたびに成宮は指の本数を増やしていった。
「あ……、も、いい……から、」
「もう限界か。どうして欲しいか云ってみろよ……、」
「ふっあッ……あんたの……好きなように、すればいいだろう……、」
「俺はおまえが乱れて欲しがるところが見たいんだよ。強請ってみろよ……チハヤ……、」
「も……、はやく……しろ、よ……。」
言葉とは裏腹にチハヤは蕩けた睛で成宮を見た。瞬間成宮の血は沸騰して一点に集まる。避妊具の封を切ると、成宮はチハヤの片足を肩に掛けて先端をチハヤに押し当てて中に入れていく。
「あぁ……いいぜチハヤ……。」
充分に時間を掛けて開いたかいがあって、奥へ奥へと滑らかに侵入することができる。中は熱く、チハヤが感じるごとに喰いちぎられそうな圧迫が成宮を攻め立てる。
チハヤも明らかにいつもの感じ方とは異なっていた。苦悶の表情は消え、息を詰めてひたすら堪えるような顔に掻き立てられる。
「全部入ったぞチハヤ……、なあ、動いていいか……。」
「早く……、動け……、」
擦れた声でチハヤが云う。理性が飛んだ。成宮は見境なく腰を振ってチハヤを貪る。腰を前後に振って抽出を繰り返したあとは、挿入したまま奥を抉る。根元まで咥えさせてもまだ足りず、チハヤの足を折り畳んでさらに奥まで侵入させると行き止まりにたどり着く。成宮はそこをぐりぐりと舐るように執拗に突いた。
「―ぁッぁ」
ぐちゅり、ぐちゅりと音を立てて刺激すれば、チハヤから声にならない悲鳴があがる。奥が開かれる。成宮がこじ開けたそこは今まで入ったことのない奥で、千迅の腹の中でぐぽっと鈍い音がした。
「ここがいいのか、」
熱にうなされた成宮は丁寧に、抉るようにそこを刺激し続ける。理性を飛ばしたチハヤから意味を成さない喘ぎと悲鳴が上がる。
「あぁっ……いい……、」
瞼を閉じて、身を捩って、恍惚と喘ぐチハヤを前に、成宮はとうとうチハヤの中で達する。熱はまだ納まりそうになかった。
◇
成宮はリビングのソファに浅く腰掛けていた。
「なあおまえ、なんで金が必要なんだ。……学費か。」
最初に成宮が達してから三度、ふたりは行為を続けていた。チハヤがシャワーから出て来たところで成宮は意を決して、話を切り出した。
「……どこで聞いてきたんだよ。」
チハヤの顔は嶮しくなる。
「おまえと初めて逢った場所のバーだよ。あそこでバイトをしていたのか、」
「……成宮商事の社長さんはいつも違う相手を連れて羽振りがよさそうだったからな。」
チハヤ―千迅はとっくに成宮の素性を押さえていたことが明らかになる。何も知らないのは成宮だけだった。
「……他のヤツにも声を掛けたのか。」
「そこまで無鉄砲ぢゃない。ただ、あんたがこの前の男とは別の男に金を渡しているのを見たことがあったんだよ。そういう稼ぎ方もあるのかと思ったんだ。なにせこっちは実習続きで働く時間はないが、生活するには金がいるからな。」
千迅は台所で水を汲むとそれを飲み干す。その間に成宮はずっと考えていたことを口に出した。
「……おまえうちに来いよ。」
「はっ、」
「うちに来れば生活費も浮くだろう。なんなら学費の面倒をみてやってもいい。」
「……気でも触れたのか。」
「茶化すなよ。」
それまで俯いて話をしていた成宮は顔を上げて千迅を見据えた。しかしその先にあったのは何の感情も浮かんでいない千迅の顔だった。
「そういうことならあんたとはお終いだ。」
千迅は淡々と口を付けたグラスを洗うと水切りに伏せる。
「……少しは考えてみろよ。悪い話ぢゃないだろう。」
「情で繋がれる方の立場になってみろよ。そんな不安定な生活に自分を預けようなんてさらさら思えないな。」
千迅の口調には苛立ちが混じる。突拍子のないことを云っているのは成宮の方だった。理は千迅にあったが、成宮も口に出した以上は引き下がれない。
「何も囲おうなんてわけぢゃない。……おまえを俺だけのものにしたいんだ。」
「おふくろがそうだった。」
成宮の語尾に千迅は声を被せる。
「男に囲われて、それであの人が不幸だったとは思わないが、同じことをするのはご免だ。それに、」
「それに、」
「好きな男が居る。」
「……おい、そういうことは早く云えよ。」
鳩が豆鉄砲を喰らったかのように、成宮は呆然とした。
「あんたでもそんな間抜けな顔をするんだな。」
一瞬の間の後、千迅は随分とくつろいだ顔で笑った。
「付き合う前に振られるなんて初めてだよ。」
成宮はソファに深々と座ると煙草に火をつける。
「……しくじったな。これでもここ一番の商談で負けたこともないんだぜ。」
「それは悪かったな。」
千迅は成宮の持つ煙草とライターを取り上げると、中から一本を取りだして火をつける。
「ついてないぜ……。来週から入院だってのに。」
「どこか悪いのか。」
「肺だよ。この間風邪を引いて思うところがあってな。何年かぶりに健康診断を受けたら引っかかった。陰があるんだとよ。お蔭で検査入院だ。」
「煙草の喫いすぎだろう。不摂生を嘆くんだな。」
「厭なこと云うぜ。これでもけっこう憂鬱なんだ。」
「どこに入院するんだ。」
「K大病院だよ。ここら辺ぢゃ一番大きいだろう。」
「……へえ。まあよく診てもらうんだな。」
千迅は成宮の煙草をじつに旨そうに喫んだ。
◇
千迅と別れてから一週間後、成宮は予定通りK大病院に検査入院をしていた。会社の従業員は案外と社長の不摂生を気にしていたようで、ついでに全部よく診てもらって来るようにと云って成宮を送り出した。
ただの検査入院のため、成宮は六人部屋のベッドに横たわっていた。
「ただいまより呼吸器科教授の総回診です。」
院内のアナウンスが入る。成宮は面倒に思いながら躰を起してカーテンを開けた。K大病院では各科の教授が医局員を連れて病棟を回って患者を診る総回診という診察があった。その時間になると起きられる患者は起きて診察を待つ。
「成宮さんですね。」
しばらくすると恰幅のよい初老の医師が成宮のベッドにやって来る。背後には十人以上の医師を従えている。名前の確認に成宮が頷くと「英くん。君が診なさい。」と医師を指名する。すると人山を掻き分けて若そうな男が前に出てくる。この時期は病棟実習をする医学生も総回診に参加していると、入院時に説明されたことを思い出す。
「成宮さん。まずは胸の音を聴かせてくださいね。」
ぼんやりとしていた成宮はその医師の声に驚いて意識を戻す。なぜならその声は―。
「ち……、」
喉まで出かかった声を鋭い視線が封じる。白衣を着て成宮に聴診器を向ける医師は一週間前に別れた千迅だった。
「服を胸まで上げてください。」
千迅は淡々と指示を出した。驚いた成宮の心臓は早鐘を打つ。それが診察に影響があるのかどうかさえも成宮には解らなかった。
「背中の音も聴きますから後ろを向いてくださいね。」
成宮は云われるがまま千迅に背を向ける。確かにあの夜に実習があると云っていたが、まさか医学生だとは思ってもみなかった。するとあのとき千迅が纏っていた何とも云えない刺激臭はホルマリンかと見当がつく。医師をしている成宮の友人も、大学で解剖実習をした後はホルマリンの匂いがつくため服は一式捨てるのだと云っていた。
「服を下ろしてもらってけっこうですよ。その後お変わりはないですか。」
「……ええ。特に変わったことは。」
「体調に変化があればすぐにナースコールを押してくださいね。」
成宮の問診を終えた千迅は取り巻きの山に戻る。教授からも特に指導はなかったため合格ラインなのだろう。成宮の病室を一周回ると、大名行列は次の病室に向かう。
呆然としながら成宮はその一行を見送る。その最後尾についた千迅が振り向いて不敵に笑んだ。
その顔が好きだったと、成宮は思った。