青い夏

 グラウンドは野球部、サッカー部、陸上部が分け合って使用している。ボールを金属が弾く音や、合図のホイッスルが短く高く響く。校舎内には吹奏楽部の個人練習の音色が流れていた。夏休みの校舎内で見かける人影は部活動をするそれらの生徒ばかりで、吹奏楽部が練習のフロアとしていない校舎の二階は閑散としていた。
「あ、やっぱり千迅が一番か。」
 廊下に貼り出された期末テストの順位表を見て、千尋は千迅の名前を指差して喜んだ。
「田舎の公立高校だぜ。たいしたことぢゃない。」
「千迅なら一領でも首席になりそうだけどな。」
 千尋のそのことばに千迅は肩をすくめるだけで何も答えない。仮定の話には意味を見いださない千迅らしい反応だった。
 千尋は肩幅の余るカッターシャツを着て、特に珍しくもない丈長の黒色のスラックスを履いていた。どちらも千迅の制服の洗い替えだった。
 この夏は千迅にとっては高校生活最後の夏休みだった。御殿山から千迅に逢いに竹雄を訪れていた千尋が、千迅の高校を見たいと云い始めたのをきっかけに、千迅が渋々制服を着せてやったのが数時間前のことだった。補習期間も終わり、部活動をする生徒以外は登校していない。
「へえ。ここが千迅の教室か。」
 千尋は無個性に並ぶ教室の前で立ち止まる。
「何も珍しくはないし、大して面白くもないだろう。」
 後ろからついて行く千迅にとっては見馴れた風景でなんの面白みもない。一組から順に並ぶ教室の五つ目が千迅の所属する理系クラスの教室だった。室内も廊下も窓を閉め切っているため熱気がこもっていた。千迅は躊躇いなく五組の教室に入ると窓を開ける。風が通ると縛られていないカーテンが揺れた。
「千迅の席はどこ。」
 窓を開けて振り向く千尋に千迅は指さしで答える。窓側の前から三番目。そこが一学期の最後の千迅の席だった。
「ここが千迅の席か。」
 面白がる千尋は早速千迅の机の中を覗くが何も入ってはいない。
「つまらないの。何もないぢゃないか。」
「夏休みに入るんだから持って帰るだろう。」
 机の中に何が見つかれば満足だったのか千迅にはよく解らなかったが、始終楽しそうな異母弟を見て小さく笑った。
「ねえ千迅。千迅の席に座ってよ。」
 千尋に促されて千迅は自分の椅子を引いた。そわそわとしていた千尋は千迅の席の後ろに座る。
「おい。なんなんだよ。」
「千迅と同じ学校に通っていたら、こうやって授業を受けていたかもしれないだろう。」
「莫迦だな。歳が三つも違うんだから、同じクラスどころか同じ高校でも入れ違いだろう。」
「つれないこと云うなよ。俺は千迅と同じ学校に通いたかったんだ。」
「つれないのはどっちだよ。」
 そう云った千迅は席を立って千迅の隣の席に座る。
「なんで後ろなんだよ。隣の方がいいんぢゃないか。」
 にやりと笑ってみせる千迅に千尋は思わず顏を背ける。そういうところが本当にずるいと思う。
 教室を出た後は夏休み中も開放されている図書室に寄り、中庭を眺めて食堂の方に向かう。夏休み中の食堂は閉まっているが、様子だけでも見たいと云う千尋に千迅は付き合う。
 一階に移動しても千迅と千尋の他に人の姿はない。部外者である千尋を連れていることに千迅の緊張が緩み始めた頃、廊下の角から聞き覚えのある声がした。千迅は咄嗟に傍の教材庫のドアを引くと、運良くその扉が開いた。隣を歩く千尋に声も掛けず強引に腕をひいて彼を中に連れ込むと、音を立てないようドアを閉めた。
「千迅急にな……、」
 驚いた千尋が抗議をするが、千迅はその口を手で塞いで黙らせる。暗幕の引かれた教材庫は薄暗く、蒸せるような室温と埃っぽさで息苦しい。
「声を出すな。担任とクラスのヤツらだ。バレると面倒だから静かにしていろ。」
 千迅は千尋の耳元で囁いた。外では教師と数人の生徒の話し声が聞こえてくる。教材庫のドアの磨り硝子ごしに人影が通過したのを確認すると、千迅は安堵して千尋の口元を覆った手を外す。だが千尋はその瞬間、背伸びをして間合いを詰めると千迅にキスをした。千迅は驚きながらも、埃の積もったファイルや中身が不明な段ボールが並ぶ棚に千尋の躰を押しつけてキスの主導権を奪う。
「……どういうつもりだ。」
 息継ぎの合間に千迅が訊ねると、千尋はすっかり熱に潤んだ睛で千迅を見つめる。
「同じ学校に通っていたら、こうやってこっそりいやらしいことをしていたかもしれないだろう。」
 千尋は千迅の頬を両手で包むと、彼にしかきこえない音を立てて触れるだけのキスをする。
「悪い生徒だな。お仕置きがいるんぢゃないか。」
 千尋の脚の間に腿を捻じ込ませた千迅は、千尋のそこを擦り上げながら唇を奪う。
「んッ……、」
 千尋は頭の奥が痺れるような快楽に躰を震わせる。千尋の芯を捉える直裁的な刺激は甘美で腰が砕ける。人影は少ないとは云え、いつ誰に見つかるか解らない緊張が千尋の感覚を一層鋭敏にした。
「ぁ……千迅。待って……そんなにされたらもう……、」
「いやらしいな。学校でこんなにして、どうするつもりなんだ。」
 千尋のそこは既に固くなってスラックスの中で張り詰めている。千尋の躰をそこまで追い込んだ当の千迅は涼しい顔でなおもそこを執拗に刺激する。
「やっぁ……、」
 千尋はむずがる子どものように千迅の躰に縋り付いた。できることならばすぐにでも解放されたいが、この場ではどうすることがいいのか解らず、千尋はひたすら耐えていた。快楽と我慢の両方を強いる男が憎らしくなって泪目のまま睨み付けると、千迅は愉しげに笑って深いキスをしかけてくる。舌が溶けてしまいそうだった。
「つらそうだな千尋。どうして欲しい、」
「も……無理……、」
「ちゃんと云えたら云うとおりにしてやるぜ。」
 千迅に意地悪く云われれば、千尋の躰はなお熱くなるので度しがたい。カッターシャツの襟元から覗く千迅の首筋に、せめてもの抵抗に歯を立てて千尋はねだる。
「……っ、もうだめ……イきた……、」
「上手に云えたな。」
 千迅は千尋の髪を撫でててやると、彼のスラックスのベルトに手を掛けて外す。ベルトが抜けるとスラックスは音も無く重力に引かれて床に落ちた。千尋の衣服を乱した千迅は、無言で屈むと、芯をもって濡れる千尋のそれを躊躇いなく口に含んだ。
「ちょっ千迅……、」
 驚いた千尋の声は思わず大きくなるが、千迅に下から睨み上げられて唇を噛んでこらえる。こんなことをされたのは初めてだった。千迅の咥内は熱く、舌で全体を愛撫される感覚は手でされるときとはまったく違う官能を千尋に与えた。先端が千迅の上顎に擦られるともうそれだけで達してしまいそうで、腰を揺らして感じる千尋は無意識のうちに千迅の頭に触れて髪を乱す。
 暗幕の向こうでは部活動に興じる快活な生徒の声がきこえる一方、ふたりだけの空間では淫らな水音がして千尋の背徳を煽った。
「ち……はや、も、でちゃう……、はなし、て……、」
 千尋は千迅の頭を遠ざけようと手に力を込めるが、千迅はそれには従わずに舌での愛撫を繰り返す。やがてそれは千迅の咥内でひくひくと震えてさらに大きく膨らんだ。絶頂の予感に、千迅は一層深くそれを咥え込むと、喉奥を絞って強く吸い上げた。
「っぁ……、」
 強すぎる刺激に抗えず、千尋は短く悲鳴を上げてせり上がった精を放出した。吐き出した後の脈動はすぐには収まらない。脱力した千尋が解放された余韻にひたりかけた瞬間、彼は弾かれたように千迅を確認する。
「……千迅、口……、」 
 千尋は自らが放ったものが千迅の口に受け止められたことを思い出して慌てた。吐き出せるようなものはないかとおろおろと辺りを見回すが、千迅は不敵な笑みを浮かべて立ち上がると、千尋の前で口を開いて見せつける。
「え……、ない……。あっ。まさか千迅呑んだのか、」
「莫迦。声が大きい。出せるところがないんだからそうするしかないだろう。中々まずかったぜ。」
「嘘……信じられない……。」
 千尋は羞恥に顏を覆ってうずくまる。
「なんだよ。悦くなかったか。もう一回してやろうか。」
「……もう充分だよ莫迦。」
 そっぽを向いた千尋は衣服を整えるが、その間も彼の羞恥と興奮は収まらない。睛に見える反応は収まっても、躰の奥が疼いて仕方がなかった。
 隣に座る千迅は口元を手の甲で拭うと反対の手で乱された髪を掻き上げて整えている。ひとりだけいつもどおりの顔に戻っているのが憎らしい。千尋は千迅が驚くのも構わず、その襟元を掴んで引き寄せると唇を被せた。
「……ねえ。早く帰ろう。」
「どうしたんだよ。学校探検はもういいのか。」
「千迅のせいだよ。……今のだけぢゃ足りない、」
「ははっ。おまえが先にしかけてきたんだろう。」
「だからってあんなのひどい。その気にさせたのは千迅だよ。ちゃんと中まで悦くして……。」
 千尋の躰は、解放されるだけでは物足りないように、既にこの意地の悪い異母兄によってすっかり作り替えられていた。
「ほら。立てるか。」
 わざとらしくふてくされて見せる千尋に、千迅は笑みを隠しながら先に立ち上がって手を延べる。膨れっ面をした千尋がその手を取って立ち上がると、今度は千迅が不意打ちでその腕を強く引いた。
「中まで悦くしてやるから、今度は好い声をきかせろよ。」
 その艶めいた声は千尋をぞくぞくさせた。今すぐにでも千迅を押し倒したい。埃まみれの床、蒸れて淀んだ空気、汗にまみれた躰。なにひとつ清潔でないこの場所でも構わない。千尋は少しも待てそうになかった。