※中学二年生の英くんのちょっとしたスクールライフのお話。視点は同級生の女の子と学校の先生の2パートです。
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生徒用の昇降口の隣に来客用の玄関がある。上がり框があって、マットの上にスリッパが並べられている。マットの縁に合せて背の低い木製の屏風が置かれていて、その前には台が設えてある。台の上にはいつも花が挿してあった。
挿しているのは教頭先生だった。一週間か二週間ぐらいの間で花は変わる。いつも注目しているわけではなかったけれど、移動教室で廊下を通るとき、登下校のとき、ふと睛に入るお花に心が和んだ。
お花の名前はほとんど解らなかったけれど、あの桃色のお花素敵だな、枝だけを挿けることもあるんだ、あの黄色いお花好きだな。そんな風に私はひとりでひっそりと愉しんでいた。
そんなお花を挿けていた教頭先生が入院された。大きな病気ではないらしいけれど、急に体調を崩されて、二三週間程度お休みになるという。
教頭先生は教科を担当されているわけではないから、毎日の授業で何か影響があったわけれはないけれど、朝校門にいらっしゃらないとか、職員室に坐っておられないとか、そんな小さな変化のひとつにお花のことも含まれた。教頭先生が入院されて三日か四日が経った頃、玄関のお花も元気がなくなっていた。葉はしおれて、しゃんと前を向いていた橙色のお花も頭を重たくしていた。教頭先生以外にお花の世話をする人はいないようだった。
お水を変えてあげればいいのかしら。そう思いながらも、お花と葉っぱは針山のようなものに刺さっていて、平たいお皿のような容器に水を張って挿けてあった。花瓶ならお花を抜いて水を替えられるけれど、こんな風に挿けてあるお花の水替えなどどうしたらいいのか解らない。勝手に動かしてお花が倒れてしまったら元に戻せる気もしなかった。教頭先生がどうやってお水を替えていたのか思い出そうとしたけれど、お水を替えているところは見たことがなかった。きっと授業中に替えられていたのだろう。
このままだと枯れてしまう。そう思いながらもどうすることもできずにいた今日の放課後、お花の前に立っている生徒の姿を見た。
英くんだった。学年で一番頭のいい男の子で、全部の教科でいつも一番だった。運動もできて、背も高い。女子同士で二年生の中で誰がかっこいい。そんな話しをするときには必ず名前の挙がる生徒だった。
何をしているだろう。私は階段の角からそっと様子を窺った。去年同じクラスだったけれど、親しく口を利くような仲ではない。英くんは新聞紙を持っていた。
お花にいたずらをするような生徒ではないと思う。では何をしているだろうと見ていると、徐に針山に刺さったお花や葉っぱを引き抜いて、床に敷いた新聞紙の上に並べていく。
どうするつもりなの。はらはらしながら見ていると、水の入った平たいお皿を水道まで運んで中の淀んだ水を捨て、流し掃除用のスポンジでお皿の中を洗っていた。
お水の交換をしているんだ。それが解ってほっとするけれど、抜いてしまったお花はどうするつもりなんだろう。針山に挿せばいいんだろうけれど、同じように戻せるのだろうか。
そんな心配をしていると、英くんが洗ったお皿にきれいなお水を汲んで戻ってくる。どうするんだろ。そう思っていると、ポケットから何やら重そうな金属の鋏を取り出して、新聞紙に並べたお花や葉っぱの茎を切っていく。あの鋏は見たことがある。お母さんが結婚する前に習っていたという、華道で使う鋏だ。英くんも華道を習っているのだろうか。
私がそんなことを思っているうちに、英くんは手際よく茎を切り揃え、元気のなかった葉っぱや駄目になってしまっていたお花を摘んでいく。
お花の手入れが終わり針山をお皿の中に戻すと、迷いのない手つきで葉っぱから順にお花を刺していく。元のような姿ではなかったけれど、お花は見違えるようなすっきりとした立ち姿で、きれいだった。
あっという間にお花の手直しを終えた英くんは、切り落としたお花などを新聞紙を包むと、傍に置いていた通学鞄を持って昇降口に向かった。なんでもできる男の子だけれど、部活には入っていない。お父さんとふたり暮らしで、ご飯を作りに帰るのだと、去年友達に話していたのを聞いたことがあった。
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「あら。英くんが世話してくれていたの。」
二週間の入院から退院し、家で幾日かの療養をした後に職場に復帰すると、来客用玄関の花が新しくなっていて少し驚いた。玄関花を挿していたのは好きでしていたことなので、先生方にお願いするのも気が引け、かといって挿したままにしていた花がどうなっているか、入院中も僅かな気がかりであった。
「勝手にすみません。」
鋏を握っていた生徒が頭を下げた。二年生の英くんだった。一学年が三クラスしかないような学校なので、全学年の生徒の顔と名前は憶えている。
中でもこの生徒のことは特段に印象深かった。とにかく学業優秀で、職員室では学校始まって以来の秀才として全学年の教師がその顏を知っていた。部活こそしていないが、なんらかの運動部に所属していれば必ず一定以上の成績を残すだろうという身体能力も備え、運動部の顧問で残念がるも者も多かった。文武に優れているが、かといって驕っているところもなく、同級生と巫山戯合っている姿もよく見かけた。
彼の入学当時は、母親を早くに亡くし養父とふたり暮らしだという家庭環境が彼に影を落としていないかと心配したときもあったが、夏休み前の面談に来る養父は、亡妻の忘れ形見である息子のことを心から慈しんでいることが感じられると担任からの報告もあり、家庭においても心配の種は少ないと判断していた。部活をできない事情を聞けば、苦労は勿論だが、この子は子ども相応に好きなことをすることはできているのかと心に掛かったが、その懸念はいま解消した。
「英くんもお花を習っているの、」
少しうれしくなって訊ねた。華道は中学生のときの部活で初めて以来、三十年以上を続けてきた。どの学校に赴任しても、殺風景な玄関が淋しく、細々と挿してきた。家の庭で育てた花や、花壇づくりに熱心な用務員のいる学校では、これが挿したいから育ててくれと無理を云ったこともあった。花を挿すことは、勤務の合間にほっと息をつける大切な時間だった。
「少しだけ。……母が花をしていたので。」
少し気まずそうに、いや照れたようにだろうか。おそらく同級生にも花を習っていることは云っていないのだろう。そうした男子中学生の恥じらいや衒いは、大切にしなくてはならない。
「入院している間も、お花のことが気がかりだったの。お世話をしてくれてありがとう。とてもきれいだわ。」
短くそう伝えると、彼ははにかんだように笑った。躰は大人のように成長しても、まだまだ可愛いところがあるのが中学生だ。教師をしていると、時にこんな交流が訪れる。だから教師を辞められないのだと、復帰後どこか萎えていた心に水が染み渡る。
花の手入れを目撃されて途惑っている彼の顔を見る代わりに、彼の挿した花をじっと見つめる。余計な手の加わらない真っ白な木槿が水盤の上に可憐に咲いていた。いい花だった。梅雨が終わり、初夏が訪れようとしていた。