※実はこのお話が白昼堂々シリーズを読んで最初に書いた二次創作です。今では解釈違いも多々あるのですが、まだなんの幻覚も抱いていないシリーズご新規の新鮮な悲鳴を浴びたいという方がいらっしゃいましたらぜひ。
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凜一が自分と同じ類の人間だということに、千尋は随分前から気が付いていた。しかし年端のいかない凜一がそれを自覚しているはずもなく、せめては道の誤りに気がついたときに手を差し伸べられるよう、千尋は心密かにこの甥っ子のこと案じていた。
その等間隔の均衡が崩れたのは、凜一の父である晟先生が亡くなったときだった。十にも満たない年で父親を見送ることになった凜一は、通夜で声を押し殺して泣いたのを最後に平生変わりないように振舞った。だからということなのかもしれない。晟先生とのわだかまりを解決できず仕舞だった千尋は、なにくれと一層凜一を構うようになった。
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梅雨が明けた七月の頃だった。華道を生業とする原岡の家では着物は日常着に等しく、着物の虫干しは欠かせない年中行事だった。虫干しは梅雨明けの頃、秋晴れの頃、大寒の頃訪の年三回行われ、祖母と二人暮らしの凜一だけでは到底手は回らない。そこで京都からの帰省を兼ねて、泊まり込みで千尋が手伝いにやってくるのが一年の習いだった。
「相変わらずすごい量だ。」
千尋はうんざりとした声で云う。勿論ここに天地海流の家元たる凜一の祖母がいれば、千尋もこのような軽口叩かない。当の家元はこの面倒ごとを凜一と千尋に任せると、あっさりと小旅行に出掛けてしまった。つまりまだ桐箪笥二棹分残っている着物を、凜一と千尋の二人で干した後はまた畳んで箪笥に戻さなくてはならない。これが難儀なのだ。天気予報はこの一週間は晴れを予報しているため、一遍にしてしまわず日を分けてする。
「この段が終わったら今日の分はお仕舞いにしましょう。もう干すところがない。」
凜一は畳紙を開いては襖の梁に着物を干していたがそれももう一杯になり、仕方なく庭の物干棹に干していた千尋も万歳をして賛成を示す。家元がいれば陰干し以外を許さなかっただろう。
今日の分の最後の一段の開けると、またナフタリンの匂いが鼻につく。
「これは男物だね。」
部屋も庭も色とりどりの女物の着物が風にはためいているが、この引き出しに仕舞われていたのは紺や黒、灰の男物着物や浴衣だった。千尋が畳紙を開き、凜一が干すという流れ作業で進めていると、千尋にはよく見慣れた浴衣が一枚出てきた。着物を渡す手が止まったので、凜一も千尋の手元を覗き込む。
「晟先生がよく着ていた浴衣だ。」
千尋の呟きは風にさらわれそうなほどか細かった。それは綿麻の黒生地にしじら絣が織り込まれた柄で、凜一の父が好んで着ていた一枚だった。長く愛着していた証拠に合わせの部分が若干擦り切れているが、着こまれたため麻も柔らかで風合いよく肌に馴染む。
「ああ……。確かに父がよく着ていましたね。」
凜一の記憶の中の父親も、夏といえばこの浴衣だったと思い出せるほどに覚えがあった。父親は凜一と同じように肌白く薄い躰をしていたが、黒地の生地でその白い肌を包むと不思議と艶めかしい色を湛え、その度に見惚れていたのは千尋だった。
「彼岸に行かれてまだ四年と思っていたが、懐かしいと思うほどには時間は流れていたんだな。」
千尋がその浴衣を撫でる手はあくまで優しく、外では夏の始まりを告げる蝉の声がけたたましく響き始めていた。
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五日をかけてすべての着物の虫干しと収納の作業を終え、千尋は翌日京都に戻る予定だった。十一の頃から七年間起居したこの家は鎌倉の実家よりも馴染み深く、離れ難い気持ちになるのは毎回のことだった。ふとした瞬間に見つける晟先生の痕跡が千尋の気持ちを一層断ち難くしていた。
「千尋兄さん、」
眠れずにじっと天井を見つめていた千尋はすぐにその声に気づいた。その呼び声より秒針が刻む時計の音の方がよほど遠慮なく大きく鳴っていた。
「どうした。こんな時間に、」
襖の向こうの声に応える。息を飲む音がした。千尋が応えるとは思っていなかったかのように。
「こわい夢でもみたか。昔みたいに一緒に寝てやろうか、」
凜一が自室に使っている座敷は、千尋がこの家で自室としてあてがわれていた座敷の向かいだ。千尋は凜一が二歳の頃から生活を共にしてきた。凜一が小学生になって一人で寝起きするようになっても、何かと理由をつけては千尋の寝所にやって来て同じ布団で朝を迎えたものだった。本来ならその相手は母親だったのだろうが、彼の母親は彼を生んだときに亡くなっていた。
「這入っても、いいですか……、」
凜一はこの四月に中学に上がったのだが、そのか細い声は幼い頃と相違ないように思われ、千尋はつい頬が緩んだ。
「這入ればいい。もう同じ布団ぢゃ窮屈かもしれないが、」
千尋の揶揄いに凜一は応えず、襖の滑る音がする。千尋は起き上がって凜一を見上げると、凜一は黒地のしじら絣の浴衣に身を包み、顔を伏せてしどけなく立っていた。
「傍へ……行ってもいいですか。」
暗闇に目が慣れている千尋にはその浴衣が誰のものであるかすぐにわかった。丈も身幅もまるで合っておらず、合わせからは過剰に白い肌が覗いており。帯が辛うじてその像を保たせていた。
「わかっているのか。それを着て俺の前にいるってことがどういうことか、」
凜一は敷居を跨いで、千尋の布団の上にはべる。遠くでは風鈴の音がりぃーんりぃーんと繰り返し夏の夜の静寂に響いていた。
「初めてすることは勝手がわからない。だから知ってる相手がいいんです。」
「経験があるなら誰でもいいみたいぢゃないか、」
「ぼくは躰を許してもいいと思えるぐらい千尋兄さんが好きですよ。」
千尋を見上げる凜一の黒褐色の睛は熱を帯びて震えていた。貞操などというものに何のこだわりももたないくせに。焦れた凜一が目を逸らそうとする一瞬を千尋は逃さず、凜一の頤を掴んで強引に上向かせると、そこに唇を重ねた。熱と熱が交じり合う。強く舌を吸われると、おかしくなりそうな痺れが凜一の躰に走った。
「やめるならいまだぜ、」
千尋は凜一を組み敷く。言葉とは裏腹にその両腕は逃れることを許さない檻のようだった。夏障子からは月光が斑に差し込んで点々と畳の上に紋様をつくる。
「千尋兄さんのやり方でぼくを躾けてください。」
目尻に涙を溜め、暗闇でそれとわかるほど頬を紅潮させた凜一は千尋から顔を背け、白い首筋を露にする。夜の闇。遠慮がちな月光。二人しか知らない秘め事。千尋は浴衣の合わせから手を這わせると、そのまま肩凜一のを露にするとそこに口づけた。