ぬくみず

 京都を出ると琵琶湖の東側をなぞりながら日本海の方へ北上する。助手席の千尋は地図を開いてはいるが、道路上の案内看板でおおよその進路を把握する千迅からは、まだ道を案内するようには云われない。助手席の役割を免除されていることにかこつけて、千尋はハンドルを握る千迅の横顔を飽きることなく眺めては満足していた。
「千迅の運転はぼんやりしていたら進んでいるのか止まっているのか解らなくなる。」
「褒めているのか、」
 千迅が笑う。赤信号で停車すると千迅の指は物欲しげに動く。煙草が喫いたいのだろうと見当がつくが、人差し指はシートを叩くだけで何もしない。千迅は千尋の傍では煙草を喫わない。そういうところがこの異母兄のずるいところだと千尋は思う。
 手持ち無沙汰のその手の甲をいたずらに軽く撫でると、お返しのように指の間を刺激される。千迅は前を向いたままの涼しい顔で。千尋の奥はじわりと疼いた。
 旅行に行きたいと云い出したのは千尋の方からだった。大学の春休みを利用して、千尋とふたりで遠出をしたいと思っていた。千尋の突然の思いつきに、悪くないなと笑った千迅は金沢に宿を取る。レンタカーを借りると、ふたりはまだ雪の残る金沢に向かった。
 
 ◇

 県境でチェーンを巻き、雪道の走行は初めてだと云いながらも千迅の危なげのない運転でふたりは金沢の宿に着く。観光は予定していない。宿でゆっくりと過ごすことにしていた。
 千迅が予約した宿は、横に長く枝を伸ばす老松を門構えの代わりにする質素な佇まいで、松の樹齢で宿の伝統が垣間見えた。客室は全部で十室程度の小さな宿だが、磨き込まれた床板は艶やかで、部屋へ案内され間の廊下からは雪化粧を纏った庭が見える。
「張り込んだな千迅。」
 部屋に着くと千尋は感嘆した。畳敷の客間は十畳ほどでゆったりとしており、客間とはべつに革張りのソファの置かれた応接スペースがある。坪庭に続く戸を開ければ、そこには部屋付きの露天風呂があった。檜の浴槽からは潤沢なお湯が溢れて出ている。
「折角ならくつろぎたいだろう。」
 案内をした仲居が下がると、千迅は透かし彫りの欄間に手を掛けて千尋の背後に立つ。
「気に入ったか、」
「気に入った。」
 千尋が喜んで振り向くと、そのまま千迅の影が覆い被さってキスをされる。千尋の心臓が跳ねる。
「くたびれただろう。早速入るか、」
 初めて交わす口づけでもない。もっといかがわしいキスも数え切れないぐらいに交わしてきた。それにも拘わらず、不意打ちでされたキスに千尋の心は容易く奪われてしまう。
「ずるい……。」
 千迅のシャツを握って千尋がそう云うと、千迅は声を上げて笑った。

 ◇

 荷物の整理を終えると露天風呂に向かう。屋外へ続く戸を開けると外気に冷やされた湯気が白く立ち上っていた。かけ湯をすると早速湯船に浸かる。
「気持ちいい……。」
 心地よさが自然と千尋の口からこぼれ出る。肌にしっとりとまとわりつく透明な湯だ。千迅もその隣でくつろいだ顔をする。
「満足したか。」
「ああ。でも……、」
 湯に浸かるだけでは物足りない千尋は、千迅の首筋に顔を埋めると上目でその睛を見つめた。欲望を雄弁に語るその睛に応じて千迅は唇を被せる。啄むように軽く触れ合ううちに、するりと千迅の舌が千尋の咥内に這い入る。
「ふ……っ、」
 軽い酩酊感に千尋の喉の奥が鳴った。絡み合って擦れる舌先が気持ちよい。唾液の縺れる水音が浴槽に注がれる湯の音を遠ざける。いつもよりも口の中がずっと熱く感じられた。
「ならしておくか。」
 耳元に吹き込まれた声に千尋は隠しようもなく欲情した。堪らず千迅に抱きつくと、後ろに指が回される。
「んっ……、」
 身に馴染んだ長い指と熱い湯が一緒になって千尋の中に侵入する。常とは異なる違和感に千尋の躰は小さく震えた。
「腰を上げてみろ。」
 千迅に促されるまま湯の中で腰を浮かせるとさらに深くに指先が入り込む。
「そこ……あっ……、」
 中をゆっくりと擦られるうちに千迅の指は千尋の好いところを掠めていく。物欲しげに千尋の腰は揺れ、その度に湯が跳ねた。抑えきれない声を堪えるために、千尋は千迅の肩に唇を押し当てる
「ふっ……ん……、」
「……続きは飯を喰ってからだな。」
 千迅はそう云って千尋の中から指を抜く。好きなように中を掻き回していた指が勝手に離れていくのが憎らしい。千尋が不満げに眉を寄せれば、千迅は宥めるように耳介を舐める。上げられた熱のやり場のなさに恨めしくもなるが、高まる期待が千尋の躰をじりじりと灼いた。

 ◇

 部屋に用意された夕飯は土地の食材をふんだんに使った懐石で、地酒ともよく合い箸が進んだ。他愛のないことを話しながら食事を進めるが、千尋の意識はそぞろだった。
「どうしたんだ。」
 食事を終えて仲居が布団を敷いて退出するまで、千尋は窓の外をじっと眺めていた。真っ暗な闇の中にちらちらと雪が舞っている。
「雪がまた降っている。」
 独り言のように千尋は云う。千迅はそんな千尋を背後から抱き竦めると、首筋に口づけ吸った。雪原のように白い肌に紅が散る。
「窓際は冷えるぜ。こっちに来い。」
 千迅は千尋の手を引くと、敷かれたばかりの布団の上に誘った。
「続きをしようか。」
 色めいて微笑む千迅に、千尋が抗えるはずもなかった。ほんの少し背伸びをして唇を重ねた。腰を抱き寄せられて躰の間に隙間がなくなると、千迅もまた兆していることが解る。
「我慢していたのはおまえだけぢゃないぜ。」
 熱い吐息とともに囁かれれば、千尋はどうしようもないほど興奮した。
「もっと……、」
 千尋は息継ぎの合間に募る欲を訴える。浴衣越しに躰をなぞられ、絡めた舌を強く吸われると、とうとう千尋の腰は砕けて布団の上に崩れ落ちる。そのまま千迅に組み敷かれると、千尋は夢中になって千迅の躰を掻き抱いた。
「千迅……今日はこのままして……。」
 千迅の三本の指を十分に呑み込むようになった頃、千尋が云った。
「おまえ……、」
 千尋の思いがけない言葉に千迅の動きは止まる。
「して……。千迅の全部が欲しい……。」
 千尋は濡れた睛で千迅を見つめる。千迅は暫くの逡巡の後、千尋の足首を持ち上げると足裏に口づけた。
「苦しくなったらすぐに云え。」
 千迅は千尋の腰を掴んでその躰を引き寄せると、千尋の求めた通り何も纏わずに千尋の中へ押し入った。
「ふっ……あ……っ。」
 いつもとは異なる熱に千尋は呻いた。薄皮が一枚ないだけで頭を突き抜ける快感が押し寄せる。
「すぐイきそう……、」
「……あまり可愛いことを云うな。」
 千迅は困ったように笑う。眉間には皺を寄せて、額には汗が滲んでいた。始めたばかりで千迅がその表情になることは滅多にない。余裕がないことが窺えて、千尋の奥は悦んで一層強く締め付け。
「はっ……。おまえ加減しろ……。最初からこれぢゃ、今日はそれほどできないぜ。」
「やっ……そんな、の……知らな……い、」
 千尋は頭振って千迅を求める。中のことなどコントロールできるはずもない。頭も躰もぐちゃぐちゃに溶かされて、千迅だけを感じている。
「……今更厭だと云っても止めてやれないからな、」
 千迅は千尋の足を持ち上げて肩に掛けると、一層千尋の奥に這入り込み、千尋の好いところを抉るように撫でながら奥を突いていく。過ぎた快感に堪えられなくなった千尋はあっという間に達して精を散らすが、千迅は止まることなく中を暴く。
「あ……っ。だめ……ちはや、あぁ……、」
「はっ……気持ちいいぜ千尋……、」
 欲に塗れた千迅の声に、千尋は睛の前が真っ赤に染まるほど興奮した。最終的には自身の欲望よりも千尋の躰を気遣うことを選択する千迅が、理性を置き去りに千尋の躰を貪る様は千尋の情欲を煽る要素でしかない。中を擦られるたびに千尋には絶頂が訪れ、白濁を出し切ると今度は中が絶えず痙攣してさらに千迅を締め付ける。
「も……イく……、」
 汗が肌を滑り、唾液は混ざり合い、躰の境界線さえも溶け落ちたその先で、千迅は苦しげにそう呟くと千尋から躰から身を引こうとするが、千尋は足を絡めてそれを食い止める。
「出して。全部中に出して、」
「莫迦。離せ。」
「やだ。千迅のが欲しい。全部中でして、」
 腰には足を、肩には腕を絡めて、千尋は男の力で千迅が離れようとするのを妨げる。千迅は身動ぎをしてどうにかその束縛から逃れようとするが、限界のぎりぎりまで千尋の中に留まっていたために切迫した衝動を止めることができない。
 莫迦が、と呻くととうとう千尋の中で果てる。千尋の腹の中には熱い塊が散り、その脈動さえもはっきりと感じられた。躰を震わせてすべての精を吐き出した千迅は、千尋の顔を覗き込むと荒い息のままその前髪を撫でて、その目元を拭った。
「……莫迦だな……。泣くことはないだろう。」
 千尋の睛からは大粒の泪があふれ出ていた。
「だって……、」
 千尋は子どものように顔を歪めて千迅に縋った。抑えきれない想いが堰を切ってあふれ出る。
「千迅が東京に行く……、」
 千尋は声を震わせた。この三月で千尋は学部を卒業して大学院へ進学することが、千迅は大学院を修了して東京の予備校に講師として就職することが、それぞれ決まっていた。
「行っちゃやだ、」
「もう子どもぢゃないんだ。俺がおまえに逢いに行くことも、おまえが俺に逢いにくることも、できるだろう。」
 鎌倉と竹雄で離れて暮らしていた子どもの頃のように親の手を借りずとも、ふたりはもう自らの意思だけで逢いたい人に逢うことができる。千尋が千迅の体温を手繰り寄せて肌を重ねると、千迅はそれに応えて千尋の汗に指先を滑らせる。
「先のことより今のことだろう。どうする。夜はまだ長いぜ。」
 千迅の囁きに、繋がったままの千尋のそこはじわりと疼いた。
「……もっとして……。もっと千迅でいっぱいにして……、」
「上等だ。もっといやらしい声を聴かせてみろ。」
 千尋を貫いたままのそれが固さを取り戻す。雪も溶かす熱情に千尋は歓喜して身を任せた。