心臓がもたない

 シフト制で勤務している千迅は、翌月の出勤予定が決まると凜一に知らせる。凜一も御殿山の稽古場での指導や、家元のお供で天海地流の支部の視察や華展の準備、凜一個人への取材や流派の会議などで完全週休二日制とはいえない毎日を送っているために、恋人になった千迅との予定の調整は毎回困難を極めていた。
 そもそも日中働く凜一と勤務が夜間の千迅では、同じ日に休みを取らなければ半日以上同じ時間を過ごすことすら難しい。そのため珍しく千迅が連休になるという日は、凜一は多少の無理をしてでも同じ日に連休が取れるように苦心していた。
 互いにどうしても外せない仕事があることもあり、その試みが毎回うまくいくとは限らないのだが、この日は二ヶ月ぶりに凜一と千迅の連休を合わせることができた日だった。凜一は午前中から高井戸の千迅のマンションを訪ねて久々の逢瀬に心を躍らせていた。
 ふたりで出掛けるのは明日の休みにし、この日は家でゆっくりと過ごすことにしていた。一緒に食事を作った後、千迅が食器を洗い、凜一が食後の珈琲を淹れるのがいつもの分担だ。凜一は千迅が食器を洗い終わるのタイミングを見計らって珈琲を落とす。
「千迅さんの分です。」
「ああ。悪いな。」
 凜一が千迅にカップを手渡すとリビングに移動する。先にソファに座った千迅の隣に凜一が腰を下ろそうとすると、千迅はカップを持つ反対の手で自分の足の間にある空間を手で軽く叩いた。
「凜一。」
 千迅は至って真面目な顔で幼い子どもにするように、ここに座れと凜一を促す。凜一は動揺して若干声が上擦った。
「え。そこですか。」
「何を照れているんだ。付き合っているんだろ。」
 千迅はおかしそうに笑った。凜一が照れることがわかった上での確信犯だ。凜一は千迅の手の内がわかっていながらも思惑通り頬を赤くすることしかできない。凜一が何か云い返すよりも早く千迅の腕が凜一の躰を強引に引き寄せて空けてあった膝の間に座らされる。
「千迅さん……人が、ちがいすぎます……。」
 千迅の躰にすっぽりと納まった凜一は、精一杯の抵抗として顔を伏せてマグカップに唇を押し付ける。耳まで赤く染まった凜一は千迅の顔を見ることができない。
「関係が変われば行動も変わるだろう。……色々試してみるか。」
 そう云った千迅は持っていたマグカップをソファの前のローテーブルに置く。カップが机に置かれる固い音が何かの最後通告のように響いた。その予感に凜一は身震いがした。千迅は俯いて露になっている凜一の首筋に唇で触れた。途端、凜一の躰に電気が走った。千迅はそのまま啄むように口付けを落としていく。時折するリップ音に凜一の熱は上がっていく。繰り返し柔く触れられるそれはキスをするときの千迅の手管とまったく同じで、膨らむ期待を持て余した凜一は身を固くする。そのまま項を舐められ、皮膚を吸われると凜一は堪らず吐息を洩らした。
「ん……、千迅、さ、……、」
 凜一は与えられる刺激に堪えるために手の中のマグカップを握りしめる。いつの間にか千迅の腕は腰にも回されて服の上から脇腹を撫でられる。腰骨の形をなぞられると云いようのない刺激に躰の奥が疼いた。
「おまえ……。ベッドにいるときと大違いだな。」
 千迅はなす術のない凜一の反応を揶揄うように耳元で囁く。その声は途方もなく甘く、凜一の羞恥心が煽られる。
「とりあえず邪魔な物は置いておけ。」
 凜一が両手で守っていたマグカップはあっさりと千迅に攫われてローテーブルの上に置かれる。縋るものがなくなった凜一は、意を決して千迅の方へ顔を向けるが、すぐさま唇を奪われる。頤を掴まれて、逃げ道を塞がれて、舌を挿し入れられて咥内を蹂躙される。
 キスに夢中になっているうちにいつの間にかソファに押し倒されていた凜一は、見上げた先にいる千迅にぞくりと背中を震わせた。
「どうされたい凜一。」
 余裕綽々の千迅を前に凜一は悔しい気もするが、それよりも今は千迅に煽られた欲望を満たされたかった。躰を開かれて、奥まで貫かれて、ひとりでは届かない快楽の向こうへ連れ去られたい。
「優しく、してください……。」
 凜一は両手を伸ばすと千迅の眼鏡をそっと抜き取る。レンズに遮られていないその睛は凜一と同じ欲望に濡れている。
「おまえ、それで満足できるのか。」
 千迅は凜一の欲望を見透かしたようににやりと笑って口づけを落とす。痛みも快楽も嫌悪も幸福も、目の前の男から与えられるすべてを自分のものにしたい。そう思う凜一は睛を閉じて千迅の口づけを受け止めた。