真夏の夢

 薄日に白い波がはためく。レースの窓掛け外から差し込む強い陽を柔く受け止め、音を立てることなく宙をそよいだが、千迅の睛はそれを見てはいなかった。
「っ……ぁっ……、」
 糊のきいていたシーツは、千迅の汗と快楽に藻掻くその爪先でとうに張りを失い、やわやわと肌に添う。
 千迅よりも厚みのある躰の影が落ちる。千迅の腰をいたずらに撫でていた手が、前に回って千迅の張り詰める中心を愛撫した。殺しきれない声が、千迅の喉奥から絞り出る。握り込まれて擦られ、鈴口を親指で押しつぶされる度に腰が浮く。そこももう充分におかしくなりそうなのだけれど、そこでは、なくて。
「ここがいいのか、千迅、」
 耳元で響くその声に、何度はっとさせられただろう。黎一の声が、千迅を苛む。
「なあ。どこがいいのか、教えてくれ、」
 真剣な声に、また千迅の躰の中が疼く。男を相手にすることなど、考えたこともないだろう男が、千迅の躰を熱心に弄っている。千迅は云い淀む。本当にして欲しいことなど、まっとうな男に云えるはずもない。
 この男が満足するところまででいい。名を呼ぶことは、組み敷いている相手が誰かを、彼が認識していることに他ならない。千迅は官能に溺れる振りをして、その問いを受け流す。
 我ながら、何に意地になっているのか解らない。莫迦ばかしくも遠慮をしているのだろうか。ざらついた黎一の手指から与えられる摩擦は、存外に千迅の欲望を刺激した。上下運動によってせり上げられる快感によって千迅の息に熱が籠もるが、声だけは上げまいと唇を噛んだ。
 唇を固く閉じれば、唇を被せられる。千迅の舌を求めて、体格どおりに肉厚な舌が千迅の口をこじ開ける。千迅を逃すまいと思っているのか、咥内に押し入ると早急に千迅の舌を絡み取って片時も離さない。表面が擦り合えば腰の奥が疼く。強く吸われれば息も継げず力が抜けていく。千迅は過ぎた快楽に抗うよう、無意識に黎一の後ろ髪を引き、悶えた。
「んっ……ふ、」
 窓の外は静かで、求め合うふたりの荒い吐息だけが色のない空気に沁みていく。午睡が似合いの穏やかな日中に、欲にまみれた多幸感に包まれる。千迅の長い手足が快楽に打ち震えて縮み、黎一は覆い被さってその震えのひとつひとつに唇を落とす。
「なあ……、」
 不意に、黎一が千迅の尾骶骨をなぞった。千迅の肌が悦びと驚き、おそれで粟立った。千迅の動揺を知ってか知らずか、黎一の指は尾骶骨の突起を二三度撫でると、その下の窄みの縁へと降りていく。
 千迅の躰は強ばった。黎一が男同士のその先のことを求めている。
 千迅は伏せていた睛を黎一の方へ向けた。向けた瞬間に合う睛が、熱を孕んで千迅を射貫く。いつから見られていたのだろう。千迅は、らしくもなく顏を背けた。黎一の指先が、千迅の答えをじっと待っている。
 窓辺でそよいでいた風が、ふたりの珠のような汗をさらって吹き抜ける。夏の熱気が千迅の搏動を忙しなくする。痺れを伴う欲が、千迅の躰を駆け巡る。
 千迅は固く睛をつむって黎一の指先に臀部を押しつけた。自らの吐息が熱い。許された黎一は、千迅を腰から掬い取って抱き寄せると、その指先を窄みの奥へ沈めていった。
「はっぁ……、」
 喰い込んでいく指先に、千迅の我慢も限界を超える。苦しい。圧がある。本来入れるべきではないところへの侵入はまさしく侵犯であり、掘削でもあった。たった指一本でも、千迅が受け入れ、黎一が侵入していくには、双方の忍耐を要した。それでも千迅は既に脳が焼き切れんばかりだった。
 友人でいい。気づかれないままがちょうどよい。黎一との関係に、特別な何かを求めていたつもりはなかった千迅だったが、もっと、もっと奥へと、指ではないもので突いてほしいと、躰も脳も誤魔化しようもなくそう求める。
「大丈夫か、千迅、」
 求める心とは裏腹に、躰を捩って快楽から逃げる千迅を、黎一は労りながらも連れ戻す。やめる気などさらさら感じさせないその力に、千迅は安心して逃げを打つ。黎一の指が二本、三本と増えるごとに愉悦と苦痛は混然とし、千迅を喘がせる。
「挿入ったぞ……、」
 千迅の中を丁寧に開いた後にそこを埋めたのは、指先ではなく黎一自身のそれだった。千迅の中に根元まで納めた黎一は、熱く張り詰め、獰猛さを押し沈めてじっと千迅を喰らうのを待っている。
「……死んでも、いい……、」
 仰向けの千迅は、目元を腕で隠してこぼした。空洞が埋まった充足に、手に入るはずのなかった質量に、千迅の睛からは一筋の線が流れ落ちる。繋がった先から押し寄せる幸福感に、千迅は陶酔した。

 

 はっと睛が醒めた。睛を開いて真っ先に飛び込んでくるのは見馴れた下宿の格天井だった。
 全力で駆けた後のように、千迅の心臓は早鐘を打っていた。動悸は容易には治まらない。寝汗も酷い。千迅は息を細く吐きだし、掌で顔に触れる。自身の体温と感触の確かさに、千迅はこちらが現実であることを実感した。
 夢を見ていた。
 千迅はのろのろと起き上がると、水を汲みに台所に向かった。手加減なく蛇口を捻る。水はコップからあっという間に溢れ出る。こぼれた水はまさしく冷や水だった。千迅はコップの水を飲み干すと、そのまま乱暴に顏を洗った。
 夢は就寝中に行われる記憶の整理だという。
 千迅は先日の講義の内容を思い出す。それまでに見聞きした記憶の断片が就寝中に投影されるのが夢の仕組みということだった。これまでに見聞きした何かが、形を変えて千迅に夢を見せたのだ。だから先ほどの夢は、決して願望の反映ではない。
 千迅は顏を拭かないまま、深く溜息をついた。濡れた髪先から滴が落ちる。外はまだ薄暗く、夜明け前だった。