あさぼらけ

 傍らの異母兄が起き出したのに気づいて、千尋もぼんやりと睛を醒ました。薄らと瞼を開けると、学生アパートらしい手狭な台所の換気扇の下で、煙草を喫う千迅が見える。きちんと服を着ているにも拘わらず、昨夜の情事の余韻が漂いしどけない。
 煙草を喫う千迅の姿を千尋はまだ見馴れていなかった。東京と京都で離れている間、いつから異母兄が煙草を喫むようになったのか、千尋は知らない。
 台所の窓から射し込む淡い朝の光が、煙草を挟む千迅の指を白々と照らす。あの指が、千尋の内部を掻き回し、肚の奥を疼かせて、千尋が欲しいと泣いて乞うまで、攻め立てた。せめてもの抵抗に、仄かに苦い口づけに「煙草の味がする。」と抗議をしても「俺は甘く感じるけどな。」とまるで確かめるように咥内を好きに探られ、熱と湿度をまとった舌が千尋の咥内を荒らした。息が継げなかったのは、下もいやらしく溶かされていたからで。
 そこまで思い出した千尋は、腰の奥がまたじんと痺れるのを感じた。昨晩、充分に過ごした、にも拘わらず。
「起きたのか。」
 どこともない宙に目線を泳がせていた千迅が、布団にくるまったままの千尋に声を掛ける。
「調子はどうだ。朝飯は喰えそうか。」
 大丈夫かどうかなど、千迅が一番知っているだろうに。あれだけ何度も繰り返したにも拘わらず、消し炭にまた火がつきそうなのを悟られたくなくて、千尋は「喰べる、」とわざと言葉短に云う
「たいしたものはできないぜ。」
 咥え煙草をした千迅は、ガス台の下からフライパンを取り出すと火にかける。冷蔵庫を開けると卵とベーコンを取り出して、フライパンに油を敷く。
 千迅の髪は長い。これもまた千尋には見馴れない千迅の姿で、苦学生の千迅は「そうそう切りに行けるかよ。」と、襟足は束ねることができる長さになっている。
 千迅は短くなった煙草を灰皿に押しつけると、油が温まる間に千尋の傍の本棚まで来て、ハンガーに掛けた白衣のポケットからゴムを取り出して無造作に束ねる。桃色のゴムだった。
「……千迅。なにそのゴム。」
 千尋の胸中は急に穏やかではなくなる。
「貰ったんだよ。」
 こういうときの千迅は異母弟の扱いを心得ていて、極力余計なことはこぼさない。それがまた千尋には腹立たしい。
「いつ、」
「実習のとき。髪が邪魔だろうって。」
「誰に、」
「同じグループのやつに。ほら。ぐずぐず云ってないで起きられるか。じきに目玉焼きも焼けるしトーストもできるぜ。」
 台所に戻っていた千迅は、いつの間にか手際よくトースターも動かしており、朝食の準備を整えていく。
「無理。起きられない。」
 布団の中でまるくなる千尋に苦笑した千迅は、そのまま焼き上がったトーストに目玉焼きをのせると、先ほどから沸かしていた湯で珈琲を淹れる。
「できたぜ。喰わせてやるから出てこい。」
 千尋の分のトーストだけ四つに切り分けられている。千尋は眉間に皺を寄せて、決して機嫌が直ったわけではないことをアピールしながらも布団から躰を起して、異母兄の差し出すトーストに齧りつく。
「それで。まだ欲しいんぢゃないのか。」
 千尋が手づから与えられたトーストを食べきったとき、千迅はその唇を撫でて意味ありげに笑った。消し炭に火がつく。千尋は答える代わりにその指を咥えると、桃色のゴムを抜き取った。