やっと見つけた。
三好の鼓動は跳ね上がり、反射的に生唾を呑み込んだ。そこには三好が会いたくて会いたくてしょうがなかった一人の美しい男がいた。
片山敏彦。
その美しさを形容できる言葉を三好は未だかつて知らない。他の何とも比べようもなく圧倒的に美しく、ただ座っているだけの今も注目を浴び、周囲をざわつかせていた。
三好と敏彦は大学の同窓生だ。と言っても三好が二学年上なので直接の交流はない。人よりも頭二つ分は大きい長身の体躯と、在学中から上げていた研究業績によって三好は学内の有名人だったが、敏彦はそれ以上だった。
学内で一目見たときから、三好は敏彦に心を奪われていた。あの美貌を前にして心を乱さない人間がいるのだろうか。三好は自分以外の人間を愚鈍な猿だと断じていたが、敏彦を前にすると自分もまた泡沫なつまらない人間であることを自覚せざるを得なかった。強烈な磁場に捕まったように三好は敏彦に惹きつけられていたが、在学中はとうとう接点を持つことができなかった。
諦めきれなかった三好は大学の同窓生に片っ端から片山敏彦の消息を訊ねて回ったが、卒業後の彼のことを誰も知らなかった。なぜ在学中に敏彦に声を掛けていなかったのか、後悔と自己嫌悪がない交ぜにっていたある日、本当に偶然、三好は新橋で敏彦を見かけた。方々手を尽くして探しても見つからなかったにもかかわらず、その姿を見ることができたとき、三好は大袈裟ではなく運命を感じた。
そこから三好は、敏彦との自然な接点をつくるべく大いに動いた。三好にとってはくだらないだけのホラー映画やオカルトの類いを敏彦が好んでいることを知ると、目に付いたその手のイベントにはすべて出席した。
本当のところ、三好は一分一秒でも研究室に籠もって、開発中の新システム研究を進めたかった。なんら興味のないホラー映画のイベントに足を運ぶなど時間の無駄でしかない。それでも三好はこれらのイベントに通い続けた。いつか敏彦と遭遇できることを信じて。
そして今日、ようやくその願いが叶ったのだ。ホラー映画の上映会で、四列先の席に座る美しい男は、間違いなく片山敏彦だった。見間違えるはずのない美貌だ。三好の血圧は一気に上がる。だがここで性急に声を掛けに行ってはいけない。息を整える。あくまで自然に、敏彦との出逢いをつくらなければならない。
「あれ、片山君?」
声は上擦っていないので上々だ。三好は自分の席を立ち、敏彦の後方から声を掛ける。
遠巻きにされながらも人々の注目を集めていた敏彦が振り返る。戸惑ったような顏をしていた。俄には三好の顔を思い出せないのかもしれない。三好は奥歯を噛んで笑ってみせる。
「同じ大学で、分子生物学をやっていた三好だ。まあ覚えていないよな。在学中は別に交流はなかったし」
そう言われた敏彦は僅かに考え込むような顔をした後、寄せていた眉ねをぱっと開かせる。悩む顔も閃いた顏も美しく、三好は思わず見惚れてしまう。
「あ、三好さん」
敏彦は立ち上がり、隣の席の参加者に頭を下げながら三好の方へやって来る。
三好も学内での知名度という点においては、片山と並んで遜色がない程度には知られた学生だった。三好は自身のことをすぐに思い出した敏彦に満足する。
「片山くんがいるからびっくりしたよ。ホラー映画好きなの?」
「僕も驚きました。え、あの三好さんですよね。うわあびっくりしたな。三好さんもホラー映画観るんですね」
子どものように無邪気に驚く敏彦は本当に美しく、可愛らしい。三好はこのまま敏彦を連れて会場を出てしまいたかったが、生憎映画の上映を始めるアナウンスが流れる。
「ああ、もう始まるね。……よかったら終わった後、また」
「はい。またあとで」
敏彦は小さく頭を下げると、自分の席へ戻っていった。三好も仕方なく自分の席に戻る。鼓動が爆発しそうだった。座ってようやく、自分の手が震えていることに気づく。初めて会話をした敏彦はやはり美しかった。あの美しい双眸が他でもない三好を見ていた。ぞくぞくした。
場内は上映に向け照明が落とされる。三好はもうこんな映画に小指の先ほどの興味もないが、上映後に敏彦と話をするためにはそれなりに鑑賞しておかなければならない。三好は苛々としながら、面白さを欠片も感じない映画の終わりを待った。
「いやあ、今回のは中々面白かったね」
上映が終わり明かりがつくと三好は前から来る敏彦を待ち、連れ立ってロビーまで出た。横に並んで見下ろす敏彦は、頭のつむじさえも美しい。さらりと流れる髪にも触れたい。そんな衝動を三好が抱いているとも知らず、敏彦は屈託がなかった。
「ええ。監督の前の作品もすごくよかったので、新作は絶対映画館で観たかったんです」
前作なら三好も当然視聴済みだ。そう言うと敏彦はいっそう顏を輝かせた。ロビーは上映後に物販を求める客で人込みは途切れない。
「でも本当に、三好さんがホラー映画好きだなんて意外でした」
「ホラーもオカルトも怪談も好きだよ。この間渋谷のシアターであった怪談会、あれには片山君は行ってないの?すごく面白かったよ」
「あの怪談会行かれたんですか。羨ましいな。行きたかったんですけど僕はチケットが取れなくて。でもあんなマイナーな会、よく知っていましたね」
ホラー、オカルト、怪談。敏彦の食いつきは上々だ。敏彦を探すために空振りを続けたイベント行脚の日々がここで役に立つ。
「その前に参加したオカルトイベントで教えて貰ったんだよ。ほら、中野の」
「ああ。知り合いが行ったと言っていました。僕その日は仕事がどうしても終わらなくて」
敏彦は警戒心も見せず、三好との会話を楽しそうな表情で続ける。三好は余裕のある顏を崩さないよう意識をしながらも、内心では舞い上がり緊張と相まって倒れそうだった。
「よかったらこの後食事でもどうかな。もう少し片山君とホラー映画の話しをしたいんだけど、ここだとちょっと……」
敏彦が一人で参加しているのは確認済みだ。敏彦のような美貌の男がロビーで立ち止まっているのがまずいのは勿論だが、三好自身も身長が195センチメートルの長身であり、そんな二人が立ち話をしていては目立つことこの上ない。周囲の視線を集めることに慣れきっている敏彦はすぐに三好の意図を承知し、個室のある店ならと言った。
ふたりで並んで上映会場を出ると、敏彦がおかしそうに笑った。
「でも三好さんに声を掛けられるなんて思いもしませんでした。僕のこと知っていたんですね」
「え、どういう意味?」
「いや、三好さん学生の頃からすごく優秀だったし、あまりその、一般的な価値観に重きを置いていなさそうだったというか、僕のことなんてその辺に転がっている石と同じで、興味もないだろうなって思っていたので」
思ってもみなかったことを言われた三好は面喰らった。ぽかんとしてしまい、すぐに言葉は出てこない。まったくもっておかしなことを敏彦は言う。遅れて敏彦の言ったことを理解した三好は、自然と込み上げる笑いを、三好は止めることができなかった。
「片山君を意識しない人間なんてこの世に一人もいないと思うよ」
ひとしきり笑った後、三好は敏彦に言った。
この男は、自分のことを何も分かっていない。
三好は絶望にも似た思いでそう言ったが、敏彦は明らかに戸惑っていた。敏彦は戸惑ってさえ、美しさを失わない。
「まあ、外れ値同士仲良くしよう」
三好は意識して作っていた声音を取り戻す。柔和で余裕があり、けれど茶目っ気のある大人の男の声。敏彦に警戒をさせない、敏彦を「意識」していない人間の声音。
そんな人間、この世のどこにもいないのだけれど。
三好が敏彦の肩を叩くと、敏彦は安堵したようにまた笑った。どこの店がいいか、ふたりで話ながら夜の街を歩く。三好にとって、最良の夜だった。